実家の片付け 3
う~~~~ん
今日の晩御飯何にしよう…
全っ然、思いつかない!
もう6時30分なのに、ごはんのスイッチも入ってないし、お店の中をうろついています。
大ピンチ!
そーだこんな時は…焼きそばだっ!!
そして…
たまごをかけて…大好物のオムそばだ~!!
そういえば、オムそばもくるみも私の大好物でした。
くるみくんを出産したとき、義母さんに
「何か欲しいものな~い?」
と聞かれて
「す…すみません。くるみを…。くるみが食べたくて…」
義母さんは点目になっていましたが、買ってきてくれました。
懐かしい思い出です。
あの頃は母も元気だったなあ…。
~~ 実家の片付け 1 ~~
あんなにきっぱりと、工務店さんやおじちゃんと話をしていたのに。
どこかで自分の言ったことの意味に気が付いたのかな。
こりゃ大変なことになる、と思ったのかもしれない。
理性の裏側に働いている、裏腹な母の気持ちが見えたような気がしました。
まわりが困ってしまう「周辺症状」が強く出ているときのほうが、実は正気に戻っているんじゃないかというような気もします。
旅行なんてして大丈夫かな!?
おじいちゃんが亡くなっておばあちゃんを介護しなければならなくなった頃、家を処分するとか、ねえちゃんであるわたしとか…とにかく、ものすごくもめた記憶が残っています。
色々無言で悩んでいるわたしにオムレットくんが言います。
「こういうのは第三者が入ったほうがいいんだよ。どこかで思い切りも必要なんだから」
所長さんとお話しましたが、今回のは本当に久しぶりの騒ぎだし、すぐに落ち着いたのでそれほどの危険はないと思うとのことです。
子供たちを義母に託して、二人で出かけることになりました。
オムレットくんは、ずいぶん前に父の法事で来て以来のわたしの実家です。
レンタカーを借りて家へ行きます。
実家は急こう配の坂です。
昇って行くとなんと、いきなり道の真ん中でお話しているご近所さんがたと鉢合わせです。
「あら~、りきちゃん!帰ってきたんね!!お母さんはどうね!!」
「その節は大変お世話になりました…」
ひとしきり、ご報告しましたが…。
やっぱり、どんな誰に聞いても、
「お母さんはプライドが高いからね~」
と言われます。
「グループホームみたいな、人間関係が密なところは難しかろうね」
そう思いますよね~、やっぱり。
これは若い頃のモテ☆プライドが邪魔をしているのだろうか。
ある程度年を取ってからも、チヤホヤされてないと厳しいのだろうか?
でも、でも!!
と反論したい気持ちもあります。
母は(あれでも)思ったよりも馴染んでいる、と思いました。
きっと、ご近所さんがたが想像するよりもずっとうまくやっています。
特に、あっという間に出来たホームのお友達がたとは、本当に仲良くやれているように見えました。
母のあけすけで率直なところが、関東地方のかた(ずいぶんざっくりですが…)の気風には合うみたいです。
地元でいつも嫌がられていた、「偉い人となかよし」みたいな発言をホームで話しているところをいっさい聞きません。
きれいに消えてしまいました。
これがまた不思議な所です。
虚勢を張る必要がなくなったのかなあ…。
家に入ると、あの気味の悪い感覚がなくなっていました。
オムレットくんがいたからかもしれませんし、もういなくなってしまったのかもしれません。
空き家、という感じです。
ものを持ち出してしまった後の家が、広く見えるはずなのですがずいぶん小さく見えました。
→→ 実家の片付け 3 に続く
実家の片付け 2
昔はこのようなニュースを見ると、ご老人を守るためだから仕方ないじゃん!と思っていたのですが...。
今は深刻です。
おばあちゃんのために遠い道のりを行ったり来たり...引っ越し代...いるものを購入したり...それはそれは物入りです!
~~ 実家の片付け 1 ~~
母も叔父もよく知っている、私も顔見知りの昔なじみの工務店さんに連絡をします。
この方はもうずいぶん昔から工務店をされていて、母とも顔なじみです。
フットワークの軽さと、正直な人柄が信頼されてました。
母が家に来ているときに、何度も電話をつなぎました。
もう何十年どころか三十年ぐらいの付き合いです。
「家はもうね、処分しなけりゃならんと思うんよ。貸しはしない。売ります!!頼んだよ。あんたが頼りやからね!」
あんまり母がはっきりと言うので私の方がドキドキしました。
帰る帰る帰る!の騒ぎを繰り返している人が言うセリフとは思えません。
叔父にも同じような電話をしていました。
これ、本当に話をすすめちゃってもいいものなんだろうか!?
誰に聞いても「そうだね、それがいい」と言うばかりで、反対する人がひとりもいません。
まだ母の意識が残っているうちに…。
という感じがします。
みなさん、そんな風な匂わせ方でした。
朝九時すぎに、ホームから連絡がありました。
もちろん会社です。
皆さんもうよく知っているので、
「お母さん元気だね!」
「大変だね~」
などと声をかけられました。
「地元銀行が日本橋に支店を持っているので通帳を取り返し、お金を引き出してその足で地元に帰る」
とのことです。
なんて具体的なんだ...。
私はお金・通帳を引き取ったときに、ごまかすために銀行に預けた!!と言いました。
覚えてるんだ~。
もー、そこを忘れてよ!!
家は電気など止めているみたいですよと介護士さんがたも話してくれたみたいですが、すると「ご近所に泊まる」と主張しているようです。
久しぶりなのに、ずいぶん強硬だな!?
施設のロビーに居座っている様子です。
電話をしました。
すると、
「今日はどこに行く予定やったかね?あんたに電話したかな?」
と言うので、拍子抜けしてしまいました。
「今日は3時にうちにお茶に来る予定になっているからね?」
「ああそう、水曜日だものね!大丈夫覚えてるよ。それほどボケとりゃせんで!」
どういうわけなのかさっぱりわかりません。
ホームの人によると、私との電話を切ってからは、食堂の方に移動したらしいです。
こりゃ本当に介護士さんがたも大変です。
しかし「地元銀行の支店が日本橋にあること」「今日が水曜日でお茶の約束をしていること」
どちらも、覚えていたんだ。
よくわからないな~??
回路がつながる…のかな?
こちらはふりまわされますので大変です。
あっ!
気が付きました。
もしかすると、昨日の工務店さんとの電話が原因なのかもしれない。
→→ 実家の片付け 2 に続く
実家の片付け 1
ちょうどこのエピソードを書いているころ、父の知り合いの方が母の引っ越しの話を聞いて、たくさんタオルを送ってきてくれました。
くるみくんの写真を送ると、葉書でお返事が返ってきました。
くるみくんがあまりにも父に似ているのでびっくりした…と書かれています。
「まるで父の話す声が聞こえるようです」と書かれていました。
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~~ 実家の片付け 1 ~~
母がバスに乗ってうちまで来ることは、五ヶ月ほど続きました。
しかし、五ヶ月ほどたった頃に自分から「もう無理」と言われて、バスでの行き来はやめることにしました。
少しずつ、少しずつ出来ることが少なくなっていきます。
私は一週間に2回、母のところをたずねていました。
比較的近い場所だったので出来ることでした。
特に所長さんへのなつき方は尋常ではありません。
うまく言えないのですが、母には何かの支柱?よりどころ?となってくれる男性の存在がとても重要なようなのです。
父が生きているときは父で、亡くなってからは叔父だったと思います。
申し訳ないな~と思うのですが、所長さんはニコニコ対応してくれています。
「自分で言うのも何ですがアイドルじゃないですけど、このような『年下の可愛い男の子』みたいな存在は大事なことですから。気持ちに張りが出るならいいんですが」
と言われてました。
本当にありがたいことだと思いました。
その話をオムレットくんにしながらふと思いました。
もし…これが逆だったら?
男性が女性の介護士さんをアイドルみたいに見ていたら??
うーん。なかなか難しい問題です!!
所長さん、ケアマネさん、感じのよいよく見てくださる介護士さんがたとの中で、母も次第に落ち着いて生活できているように見えてきた頃でした。
叔父から電話がかかりました。
「お前、あの家はいつまであのままにしとくんか?そろそろ考えにゃあいかんぞ」
「そうだよね。どうしようかなとずっと思っているんだけどね…」
家の処分問題がのしかかってきました。
漠然としか考えていませんでしたし、考えてはいけないと思っていました。
父と母と領域なのです。
触れられない気持ちがあります。
そして今も残っている大量のアルバムや本やCD!!
私も慣れ親しんだ本がたくさんあるのですが、とても全部持ってくることは出来ないでしょう。
もし、こっちに引っ越してきた場合、残される家をどうしないといけないか。
気持ちとしては、貸してでも残しておきたい。
一度建て替えているとはいえ、築30年経ちます。
「どちらにしても、まずは残っている荷物を始末しなきゃいけないよ」
オムレットくんが言います。
「僕も行く」
「一緒に行ってくれるの?」
「うん。最初から僕がやらないといけないだろうなと思ってた。だってりきちゃんにはやれないでしょ」
グサッと突き刺さりました。
やれなくはない。
やれなくは。
すごく長い時間をかけて、ゆっくりと整理できるなら…。
でも、こんな遠方にいては、ゆっくり時間をかけて整理なんてできるはずがないこと、オムレットくんはよくわかっているみたいでした。
私もわかっていたはずなのですが、頭がついていきません。
→→ 実家の片付け 2 に続く
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認定調査 3
くるみ君、食事どきは本当に頼りがいがあります。
「レタス出して~トマト出して~お味噌溶いて~」
オムそばちゃんの方がさぼっています!
お手伝いしてくれながら、
「帰りにおばさんみたいなことしてしまったわ」
とくるみ君がいいます。
「顔はわかるけど名前も知らない人と道端でずっとお話した」
井戸端会議のことを言ってるのか~。
それはたしかにおばさんだ!😅
~~ 認定調査 3 ~~
母の部屋に入り、話をしました。
母はきっぱり言います。
あの病院の先生に言っていたような
「ここはいいところ。帰りたいという気持ちはない」
などという発言はしません。
「もう帰る意志ははっきりしてるんですわ」
本気で本音で話しているなという感じがしました。
そりゃ帰りたいよね。でもね、もう一人では無理なの。
わかってもらえないかな~!
無理なのか…。
無理だからここに来ているのか。
「もうここにはいられませんのでね!」
「あら~、そうおっしゃらないで!ここもいい所ですよ?」
「そうね、いい所ですわね、娘もいるしね…」
母はすごく元気に話しています。
「あのねここに来るのにはね、黒い三人の男に薬を呑まされて連れ去られて来た事を思い出したんですわ」
割と長いこと主張しているので、よほど記憶にはっきり刻み込まれているようです。
「あら~、そうなんですか」
「それがどうもね、納得がいかないところでね~」
私の顔をちらちら見ながら話しています。
ぐぬぬ...。
言い返したい!
抑えて抑えて
というように、ケアマネさんが見てます。
所長さんにも喧嘩するなと言われたし。
この言い返さずに黙って流す、というの、割とストレスがたまります。
調査員さんは、調査書にたくさん書き込んでくれました。
歩いて見せたりするのも、しゃっきりパタパタ元気いっぱいなのですが、股関節の手術のことを忘れてしまっている…とお伝えしましたら、書いてくれました。
認定後、母は介護区分が「介護2」に認定されました。
認定調査は一つの大きな区切りでした。
選択肢が広がりました。
これで、母の様子を見ながらグループホームを探すこともできる。
たくさん、介護問題を抱えているお友達と話をしましたが、その時に言われたのは
「ケアマネさんの能力が非常に大きい」
ということでした。
お友達のケアマネさんは、こうして欲しいといっても通らなかったり、よいデイサービスを紹介してもらえなかったり…嫌な顔をされてしまったりと、とても苦労をしていました。
母についていただいたケアマネさんは本当に有能なかたでした。
認定調査後、ケアマネさんが母にあわせてデイサービスを選んでくれました。
わりとしっかりした運動系、ヘルパーさんなどです。
しかしここまで来て、母は予想外にホームに慣れはじめている様子を見せています!!
→→ 実家の片付け 1 に続く
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認定調査 2
気圧の変化でしょうか!?
昼間はまたカーッと暑くなったり、夜は妙に冷えてきたり、周囲でも体調を崩す人が多いです。
私もせき、だるさ…。
ここの所、あまりよくありません。
しかーし、ダイナマイト☆おばあちゃんのみならず、ダイナマイト☆オムそばちゃんも元気100倍です。
くるみくんも、ここの所割と元気なのは、やはり夏休みが元気注入してしまったのでしょうか…。
やっと夏休みが終わってくれて、かなりほっとしています!!
気が抜けたのかな~?
~~ 認定調査 2 ~~
調査日、ホームの玄関で認定員さんとケアマネさんと合流します。
所長さんとも相談の上、私から電話連絡することもやめていました。
これは昔からですが、もう本当にすごい依存症なのです。
私がちょっとでも連絡しないと発狂します。
仕事先にもバンバン電話がかかります。
ケアマネさんは、調査員さんには、よく知っているよい方を指名してみますね、と仰いました。
こうしてお話してみると、本当によいかたです!
どうぞよろしくお願いしますとご挨拶をしていると、エレベーターが開きました。
母があの「赤いカート」を持って降りてきました。
それはそれはもう、ばっちり旅支度をしています。
決意はかたい!といった表情です。
私は見ただけでテンションが下がってめげそうでした。
これを毎日、ホームの方たちは相手にしていたのかなぁ…。
「おかあさまですか?」
ケアマネさんと認定員のかたは立ち上がりました。
母は
「!?」
となりながらも、満面のいい笑顔です。
ニコニコしながら挨拶してます。
「あら、皆さんこんな所におそろいで!(私に)あんたもいたの!?どうしたの?」
認定員さんが自己紹介しました。
「まあこんにちは。はじめまして。今日は○○さんが元気で過ごせているか、ちょっとお話を伺いに寄らせていただきました」
母は
「あらそうですか?でもね、私は今から地元に帰るもんでね。ちょうど間が悪かったですね」
と答えました。
「あら~帰る!」
「そうですわ。ここもいいんですがね。私には家があるもんでね!」
私に向かって宣言しました。
「さあ帰るからね!もうあんたにもお世話になりました!心配いらんからね。私は今から帰るから!」
思ったより以上に、認定員さんの目の前で
「帰る帰る帰る!」
を連発してくれました。
情けないような、しかしうまくやった!というような…とても複雑な気分です。
母は血色よくつやつやして目もキラキラしています。
話している内容はともかく、すごく元気でまともそうでした。
こうしていると、健常のかたとまったく変わりありません。
逆にわたしが調査員だったとしたら、いったい何をもって認知症とするのかさっぱりわかりません。
家に帰りたいと思うのも、当然それが普通のことだと思います。
「え?できるんじゃないの?大丈夫そうじゃない?」
と、あのゴミであふれていた家を見なければ.、こんな元気そうではっきりした意志を見ればきっとそう思ったことでしょう。
ケアマネさんと認定員さんに説得されて、とりあえず皆で母の部屋に戻ります。
「ま~足腰もしっかりされてる!それにお若いですね!とてもお元気!」
→→ 認定調査 3 に続く
認定調査 1
私がはてなブログにやってきたのは、Yahoo!ブログの終了に伴うものでしたが、今日ついにYahoo!が停止になりました。
はてなもこうして使っているとずいぶん慣れてきました。
リンクの埋め込みは特に、とてもいいな!と思います。
しかしやはりさいしょに作ったブログにはずいぶん思い入れがありましたので、昨日からどうもちょっと気持ちが落ち込んでいます。
さてと、しかしうちのダイナマイト☆おばあちゃんはそんな感傷などふっとばしてしまうパワー☆をいつも秘めているのでした!
~~ 認定調査 1 ~~
通帳や現金を預かるタイミングは本当にむずかしいです。
私もなかなか踏み切れませんでした。
しかし実際に電車に乗られてしまうと、もっと早くに引き取っておけばよかったし!!と思います。
母はすぐに気付きました。
電話攻撃です。
通帳と現金を返してくれくれが大変です。
まあ、そりゃそうです。
何度も何度も、電話がかかります。
私の手元にあると言うと余計に興奮してしまうので、
「銀行に通帳は預けたから」
と説明しました。
「何でそんなことするん!!人のやで!!」
「自分で管理できないお年寄だと、そういうこともあるの!!」
「そんくらいできる!!かえして!!!ひとの!!どろぼう!!(エンドレス)」
人のであることは確かにごもっともなので、こちらもどうにも気分が良くないです。
この日は私の誕生日でした。
ケーキを買って家で食べていました。
このケーキ屋さんは近所でもおいしいので有名な所でしたが、母はここのことは本当によく覚えています。
いつまでも
「あのケーキが食べたい」
と言うので今でもたまに買ってあげます。(高いですけど…)
認知症のひとは「いいことは忘れて、いやなことが記憶に残る」ともよく言われることですが、母はまだ、いいことも残っているみたいです。
通帳と現金を引き取ってから、母は「帰る帰る」と口では言うのですが、実行に移すことは確実に減りました。
やはり、お金を持っていることが本人に活力を与えていたようです。
可愛い所もあり、帰るモードさえなければ素直でボケたおばあちゃんという感じです。
そんな時は、「帰る帰る病」がすごいというとびっくりします。
「あたしが!?へぇー!?」
買い物に行っていると、前向きな発言もあります。
「一人ではもう無理なことは理解している」
「今、心底さびしい」
「地元での騒動の発端は、ご近所に子供や孫が帰省していて楽しそうにしているのを見たことがはじまりだった」
「今は娘や孫と会えるのでそれはとても嬉しい」
住所変更で届き始めた郵便物もやっかいのタネでした。
同窓会のお知らせもスイッチになりました。
母がいつも帰るという時に持って降りてくる赤いカートがありました。
引き取りたかったのですが、ホームから「これが帰る気分になっていることを見分ける指標になる」と言われたので、しばらく置いておいておくことになりました。
ケアマネさんと話しました。
認定調査の日には前日から向精神薬の薬を飲まないでおくことにしました。
さて、おくすりなしだと母は一体どういう行動を取るのだろう?
ドキドキしながら認定調査の日を迎えました。
→→ 認定調査 2 に続く
馴染むために 4
おばあちゃんの騒ぎがはじまる少し前に、うちの洗濯機をそろそろ買い替えようという話になりました。
これまで、ずーーっとほぼ毎日二回、洗濯していたのです!!
子供たちも少しずつ大きくなっていることだし、と思い切ってうちにしては頑張って大きめのを買ったのですが…
予想外に大きくなるこども。
おばあちゃんの洗濯も増えました。
さらに、不安定な天候つづき。
用心しないと今でも、二回洗濯する羽目になる日があります。
母が家でご飯を食べる日にやってきて、それを見て
「うわぁ~!こんな大量の洗濯物と洗い物、見るだけでイヤ!!あんたよくやれるわね!?」
と言ってました。
うむむ。
本当にちゃんとやれてるかというと、かなり微妙な感じがします。
~~ 馴染むために 4 ~~
もう一つの大騒ぎの話です。
それはごく普通~の日でした。
仕事場はいつも、介護に対して理解していてくれて本当に感謝しています。
その日は、会う予定を入れていなかったのですが、母に夕方から一緒に過ごさないかと電話しました。
すると何か様子が変です。
外にいるような気配がします。
そして、明る~い口調で
「今、名古屋。電車に乗ってるの。次が名古屋駅。ちょっと家に帰って来るから」
と言われました。
一瞬、ちょっと何があったのか理解できませんでした。
はあああああああ!!!!????
「名古屋ーーー!!!!?????」
仕事帰りに歩きながら話していたので、周りの人がみんな見ていました。
「それまさか電車!?名古屋!?なんで!!????早く戻って!!!!」
「戻れん」
「最寄りの駅で降りてーー!!早く!!!!」
私のあまりの剣幕に恐れをなしたらしく、母は素直に降りたようでした。
(若干、新幹線がそんなにすぐに停車するものかな?と疑問に思います)
「電話!!電話、駅員さんに代わって!!!!」
駅員さんが出ました。
「すみません、母が!!母が電車に乗っちゃったんですけど認知症なんです!!!」
「切符は○○までになってますけど…払い戻しきかないけど大丈夫ですか」
払い戻しなんてどーだっていいわ!!!!!
その方が話が早いと思って、「認知症」「認知症」を連発しました。
駅員さんも若干、私の勢いと慌てっぷりに引いていました。
上り電車に乗せてもらいました。
まだ時間があるはず。
私は家に一旦帰り、荷物を置いて駅の方に向かいます。
すると、母がいます。
駅から私の家に向かって歩いて来ています。
「!!!????」
あれっ?
もう?
名古屋じゃなかった???
いくらすぐに上り電車に乗り換えたといっても、早すぎます。
何駅で降りたのか、どこから新幹線に乗ったのか、乗る前だったのか聞いても何も覚えておらず、よくわかりません。
でも、母に会った時間から逆算するに、名古屋までは行っていないような気がします。
東海道沿線のどこかの駅だったのではないかと思われます。
一旦、私の家に連れて帰りました。
機嫌よくお茶を飲み、お茶菓子を食べています。
ぐったり…。
以前、母の財布に大量のお金がひきおろされているのを発見したお話をしたと思います。
母がトイレに行ったすきに現金を2万弱にして残りは母の重要物ぶくろに保管しました。
キャッシュカード・通帳・預かりました。
もう何の躊躇も罪悪感もありません。
あとは認定調査を待つばかりです。
ケアマネさんとの顔合わせの時もそうでしたが、やはり予定によって1週間~2週間の合間があるので、その時までもたせるのが大変でした。
→→ 認定調査 1 に続く