連れ帰ろうと奮闘
陽性でも、入院が明らかに必要なさそうな無症状だった場合はどうするんだろう!?
普通に帰るのかな?
車がなければバス?
保健所の言ったとおり、マスクをしていて距離をとっていれば、バスに乗っていても、濃厚接触にはあたらない?
何かこれはもう、蔓延を抑えられるような気がしません。
自然の摂理としてもう無理です。
ちょっとびっくりがおさまったあとは、またしてもフツフツと腹が立ってきます。
はっきり言って、私がマスクをして母と話したり、うちに少しだけ来て、私は掃除をしている間、母はテレビを見ている。
...という時間の方が、不注意によって転倒を見てもおらず、病院に来てコロナ患者さんと同室で検査を受けるよりも、はるかにリスクは低いはずです。
責任!責任!と言うけれども、転倒は見ていない。
骨折の責任はとってもくれない。
会わせない上に、また爪は伸びている(うらみが...)。
そして母は、骨折ではあるのですがもう手術などは全体的を鑑みて無理だということでした。
痛みを紛らわせながら日々を暮らしていくしかないということです。
まあ、施設もだいたい、こんなことだとはわかっていたのだろう…と思います。
しかしモヤモヤは消えません。
そもそも母が動きすぎる人なことも確かで、施設にとってはやっかいな存在でしょうから、ずっと見ておけというのも厳しいのかもしれません。
部屋の位置もよくないです。
トイレのまん前なのです。
元気なときはそれが良かったのですが、今となっては、するっと入られても誰も気がつきません。
とりあえず、病院で母をみていて寝かせてもらっている間、払いをすませ、車を取りに行き、薬局でお薬をもらいました。
すべて、母を連れていては出来ないことです。
無理に車椅子に乗せてあちこち歩き回ればできるかもしれませんが、疲れてしまうでしょう。
お薬は、また拒食気味になってしまうかもしれないので座薬にしてもらいました。
優しい薬です。
アセトアミノフェンの座薬なんてあるんだと思いました。
やっとすべてが終わって母を連れ帰ろうとした時、母も相当にぐったりしていました。
待っていてもらった部屋には、誰もいません。
(一応、落ちないように仕切りはしてありました)
どうすれば、ベッドから、車椅子に降ろせるだろうか…。
疲れきっているので機嫌も悪いです。
ベッドから起き上がるのすら母は拒否しました。
「行かん。乗らん」
の一点張りです。
「そうもいかないのっ」」
「ほっといて。あんたはあんたのしなきゃならんことを先にしなさい」
これ、母の口癖でした。
こんな懐かしいセリフを久しぶりに聞いた気がします。
最初に説明されたとき、
「車で帰りますか。大丈夫ですか?帰れますか」
と先生も心配そうでしたが、一体、車で帰るのでなければどのようにして帰るのか、私が教えて欲しいくらいです。
車椅子つきのタクシーは、予約が必要ですし、来るのに時間がかかります。
何としても連れ帰らなければならないので、まずは何とかして上体を起こしてもらいました。
抵抗するので、逆に寝ようとする逆らう力も入っていて、鉛のようにずっしりきました。
お、重い。
むちゃくちゃ重い。
人間の体ってどうしてこう重いのだろう。