リモート疲れ
2週間はバイトすることもできません。
してしまうと離職手当が出なくなってしまうそうです。
しかし、もらった説明書きでは、
『今すぐに!早いうちに!就職先を決めましょう!!』
と書かれています。
なんだか矛盾してる話だなと思いながら、ずいぶん長いこと人混みの中で待ちました。
もうこの混み具合、コロナなんてどこへやらです。
コロナで失職者が溢れて、コロナで密になっています。
今、これを書いてるときは、割と感染者数が少なくなっているのですが、このときはまだもりもりに拡大して最高人数更新ぐらいのときでした。
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家に帰ってもなんとなく気持ちが沈んでいる状態です。
なんでもいいからやってみて、ダメならまた辞めればいい。
そんな風に自分を叱咤激励します。
でもせめて、3ヶ月は休みたい~!!
家に帰ってからも、ハローワークの求人情報を見ることができます。
したこれはとてもいい感じです。
しかも、近くにいい感じの事務の仕事がある。
うーんタイミングが早すぎる。
もちろん、あれこれとほかのネット求人情報も見てみました。
今すぐでも、あるといえばある…。
大丈夫、大丈夫…。
ここはちょっと様子見をしよう。
最初に休業手当が認定されてから…。
ごめんよオムレットくん。
一週間ぐらいたって、会社があぶない気配もないし、オムレットくん、だんだん落ち着いてきました。
顔色も明るくなってきました。
これ、本当にヤバかったらアッという間に顔色でわかるので、本当に、そこまで危なくはないということがわかったんだと思います。
割と気が小さいところがあるのです。
不安だから騒いで見たんだろうね。
* * *
しかーし、気は抜けませんし、そう簡単には休めません。
オムレットくん、ここのところリモートになる確率が非常に多いです。
そしてさらに、くるみくんもリモート授業のためほぼ毎日家にいます。
わたしは、ハローワーク通いと、図書館にこもることにしました。
学校に行っているのはオムそばちゃんだけです。
が、帰ってくる時間が早い日は、平日なのに家の中に毎日四人ひしめき合うという状態が続いていました。
大して広い家でもないのに…。
子供たちも大きくなってきていますから、人口密度が高い感じです。
とても疲れます。
何となく、家族にクビになったと言えなくて、公園でお弁当を食べる元サラリーマンの気持ちがわかるような気がしてきました。
* * *
しかしここのところ、感染者数がすごく減っています。
久しぶりにお友達と会って話をしました。
「世界的に見ても、二か月ごとに波が来ているから、また二か月後に次の波が来るんじゃないかしら…?」
お友達は医療関係の人なので、なるほどなあと思います。
「でも、しだいに風邪みたいになっていく、って言ってるけどね。今度はいつ、それを見極めてマスク生活はもういいです、ってなるかどうか、タイミングが難しいわね…」
おばあちゃんの施設では、相変わらずかたくなです。
ここまでワクチンが浸透して、それでも会えないとなると、それはそれで人権侵害では…?
なんて最近、思うようになってきてしまいました。
施設の方の、ただでさえ大変なんだから面倒ごとを増やしたくないという気持ちもそれはそれでわかるのですが。
オムレットくんのかわいがっているエビです。
密なハローワーク
か、会社の休業助成金?
「それだけ!?」
何となく、わたしにはぴんときてません。
それがどうして、危ないことになってしまうのか。
休ませてあげられるんでしょ。それはいいことなのでは。
としか私には思えませんでした。
切実に。
「半分ぐらいの人を休ませないといけないんだよ~そんなことをしたら会社は回らないんだ!!」
確かにそれはそうです。
「逆にそれで回っちゃったら、休んだ人いるのって話にもなる。しかも何ヶ月も休みを取ってもらうことになるんだよ~」
オムレットくん、頭を抱えてます。
「そしてぼくが休む人を選ばなきゃいけないんだ!その穴をどう埋めるかも考えないといけないし。そんなこと(休業助成金)をもらわないともうやっていけないようなこの会社はもうおしまいだー。僕も辞表を書かないといけないかもしれない。僕が辞めちゃう方が早いかもしれない。というか、やめろってことなんじゃないのか~」
こ、これは…。
私が陥っていた状態と同じではないだろうか。
オムレット君も辞めたくて辞めたくて仕方ないんだな。
仕事が苦しいんだ。
ストレスなんだね…。
本当に仕事辞めたって言うことが出来なくなってしまいました。
* * *
オムレットくんも、ゴリラみたいに血も涙もないような人だったら、そんなのぽいぽいぽい~っとやれたのにな。
(めちゃくちゃディスっているようですが、こういう人だと逆にこのような時には安心感があったかもしれません)
でも、そうじゃないからオムレットくんでよかったんじゃないか。
しかし、ストレスがみため、半端ないのでとにかく自分の仕事を何とかしないと…。
次の日、こんな時に職場からやっと離職票が届きました。
月半ば半分を過ぎていました。
遅い!おっそーーい!!
(それともこのくらいに届くものなんでしょうか。長いことこの仕事を続けてて、やめたことがないのでわかりませんが…)
オムレット君の話を聞くまでは、まだなのかなぁと思ってイライラはしていましたけど、ハローワークに行かなくて済む口実にもなるので電話で督促したりはしませんでした。
届いた翌日、早速ハローワークに足を運びました。
これ、この話がなかったら、もしかすると二、三日放置していたかもしれません。
ハローワークが開いてすぐ、ぐらいの早い時間に辿り着いたのですが、びっくりします。
人だかりの山です。
そんなに広い施設でもないのに、ぎっしりと人が待っています。
これは大変だ。
コロナの影響、ひしひしと感じました。
以前の職場に就職した時、やっぱりハローワークにお世話になったのですが、窓口の人は話を聞くなり、さっと
「あなたならここがいいんじゃないですか」
と勧めてくれて、一発で話が決まりました。
なのでハローワークの印象も良かったのですけど、今回はそういうわけにはいきませんでした。
まずエントリーシートの登録のための資料を書くところから始まりました。
そしてそれを職員さんが打ち込むのだそうです。
どちらかと言うと私に打ち込ませて欲しい。
タイピングは得意です。
そして、人も多いけど、対応もすごく事務的で、職員さんたちも焦っていて、疲れていて、人だかりが多くて…大変そう、というのがよくわかりました。
「今は求人も大変少なくなっていますのでね」
と言われました。
あれ、世の中人手不足じゃなかったのかしら。
もうそんな時代は終わったのか…。
確か車で東京に出かけたときの(どこかわからない)写真です。
寝耳に水(オムレットくんの話)
毎月毎日、何か新しいことが起きていて、なかなか平穏な日々は送らせてはもらえません。
早く縁を切りたいのに、私はいまだに元職場を引きずっています。
そもそも人事の書類が届くのが異常に遅く、でも電話を掛けるのも嫌という状態が続いていました。
そしてそれは未だに続いているのですが、ちょっとだけでもゆっくりしたいという気持ちでした。
そんなとき、オムレットくん、恐ろしく深刻な顔して戻ってきました。
「もう本当にやばいかもしれない」
ええっ。
「ちょっと冗談ごとじゃない。洒落にならないぐらいやばいと思う。家のローン、どうなってる。見たいからそろえといて」
私もちょっと、気が冷えるような思いです。
サーッと背筋が寒くなりました。
まさか。
まさかの、このタイミングで!
二人とも無職という状態!?食べ盛りの子どもふたり…。教育費…家のローン…。
まさか!
何しろわたしは仕事を辞めたことをまだオムレット君に言っていないのです。
タイミングを見計らっていたところでした。
これはいよいよ言えない雰囲気だ。
ローン通帳、私もしばらく見ていません。
不安でいっぱいのなか、つくづくと通帳を見てみました。
あれ。これは結構残高がないぞ?
そうだ、繰り上げ返済をちまちまと頑張っていたんだった。
辞める辞める騒ぎの中で、すっかり忘れていました。
「オムレットくん、まあこれを見て」
二人でたくさんの通帳を持ち出してその前で腕組みです。
「今家にあるお金をかき集めれば、返済は終わるよ。そして少しあまりも出る。返済が終わったら管理費だけ毎月払えばいいということになるから、これまでのローン返済の負担がなくなってそれを全部貯金に回すことができる」
オムレットくん、相当不安で真っ青な顔をしていたのですが、これを聞いて少しだけ希望が出てきたような顔をしました。
「今すぐ路頭に迷うということはないか」
「そうだよ。そしてこっちは子供たちの学費積立の方。くるみ君の大学費用まではとりあえず心配ない」
しかし、オムそばちゃんの方はどうでしょう。
ここでローン返済が終わったとすればまだ希望はあります。
私、ここでまさかのフルタイム復帰の路線が出てきました。
ちょうど子供達も大きくなったところで、タイミングといえばそうです。
あああ、でも5時起きの四つ弁当が~。
フラフラになりながら辛くて仕事を辞めたというのに。
もちろんそれだけではありません。
今は、問題なく朝も5時に起きることができているし、洗濯まで全部終えても、まだもと職場に通っていた時間より早いのです。
精神的な問題がこれほど関係あるとは思いませんでした。
あれほど朝に起きられなかったのはいったい何だったんだろう。
憑き物が落ちたようです。
確かに今のテンションなら全然いける気がする。
でももうちょっと!
ずっと働きづめだったんだから、せめてもうちょっと休みたかったのに。
家計が重くのしかかってきます。
もうコロナ!!
全部コロナが悪いです。
おばあちゃんにも会えないし!
(会えなくなって少しは休めたけど…)
* * *
オムレット君の説明とはこうです。
会社が休業助成金を申請することになったというのです。
【ロハコ限定】タテヨコ・イージーケアピッチャー 2.1L K-1276AS 1個 岩崎工業
昭和初期の一幕
おじいちゃんたち、最初は中心街からは一駅離れたところにいたそうですが、家があいたからということで、(その地域では一番の)街の方へ移りました。
これ、おそらく、終戦直前に引き揚げて帰っているので、空襲を避けるためにこのような…(すいません…)内陸にしたんだろうなと推測できます。
もっと早く、根掘り葉掘り、きちんと話を聞いておくんだったな~。
家が空いたからといって移った場所は、武家屋敷が立ち並んでいた場所で、おじいちゃんたちが入ったのも、その武家屋敷の一つだったのだそうです。
しかし、引き揚げた時には、古いことばでよく母が使っていましたが「素寒貧」
しかも子どもは6人!
めちゃくちゃ苦労したと言っていました。
ソウルの大きな家で、日本人だからということで、現地のかたを女中さんとして雇い、ひな人形が三つもあったというお嬢さん生活をしていた母は、弟たち、妹たちの世話にてんてこまいだったらしいです。
だから、母が女王様なのも仕方がありません。
みんな、母の言うことには下を向くし、逆らえないのです。
おじいちゃんは、大陸から引き揚げてきて、その地域のバス会社に就職しました。
そこから、もともと大陸で運送会社の重役をしていた経験をかわれ、支店長になったそうです。
母からだけ話を聞いていたのとは違って、まだ若いおばちゃんの視点から聞くのはとても新鮮でした。
「高度成長期なんてまだまだ!ぜんぜんあとの話でしょ。貧乏でほんとうに大変だったのよ!」
おばちゃん、さりげな~く、自分の恋愛話もぶっこんできました!
そしてみずからやっぱり言ってます。
「美人三姉妹だったからね!」
このおばも、イキイキとして明るくて、確かに魅力的です。
* * *
「それでね、おばあちゃんは恋愛をしたでしょう。失恋をしてね、『ボートに一緒に乗った人』は、お母さんがあまりにもおじょうさんだからって手を出せなかったっていう話。それと、『作家になった人』のほうは、お母さんの親友と結婚したの」
ここのところは、次に会ったときにくわしく、くわ~~しく、教えてもらうことになりました。
で、わたしの父と知り合ったということです。
父は教師をしていたので、その地に赴任をしてきていたようです。
「でね、二人でまだ結婚する前に、夜にお城の夜桜を見に行くって言って出かけたの。そのとき、おばあちゃん(母の母)が、あなた一緒についていきなさい!っていって、わたしもひょこひょこ、くっついていってね!今思えば、さぞかし邪魔だっただろうな~って思うのよ」
この、お城に夜桜を見に行ったのは、とても素敵な思い出だったらしくて、お城と夜桜の話は母もよく言っていました。
しかし、そこにおばちゃんもついていっていたとは…。
たぶん、おばちゃんは中学生ぐらいです。
お目付け役ということでしょうか。
ふたりきりにはしないという配慮を感じます。
昭和初期の時代のお話です。
* * *
これは、おばちゃんではなく、母から聞いたのですが、母が父と付き合うことになり、町でふたりで歩いていると、何せ狭い町のことなので、あの「ボートに一緒に乗った人」と鉢合わせをしました。
その人も連れがいたようなのですが、つかつかと母と父のところによってきて、
「〇〇ちゃん(母の名前です)、今、幸せか」
と聞いてきたそうです。
すごい圧!
父はどんな顔してたんだろう。
でもすごく温厚な人だったから、おとなしくしてたんだと思います。
母はというと、これはほぼ、あまりこういう圧だの空気だのというのは感じない人なので、無邪気な様子で(自分で言ってました)
「ふん」
と答えたそうです。
するとその人は
「そうか」
とだけ一言いって、戻っていったと聞きました。
圧だの空気だのは感じないといっても、やっぱり心に強く残っていたのでしょう。
娘のわたしに話したりするぐらいですから。
私は、昭和の日本文学の中では谷崎の「細雪」が好きなのですが、この細雪の四人姉妹も、返事をするときにいつも「ふん」と返事をするのです。
それで、読んでいるといつも、こんな感じだったのかもしれないなあ…、と思って、母たち姉妹のことを考えます。
細雪(上) (新潮文庫) (日本語) 文庫 - 1955/11/1 谷崎 潤一郎 (著)
昔話のつづき
「いまさら、すごく基本的なことを聞くようだけど、大陸から『引き揚げ』してきてから、いったい最初はどこに住んだの?」
というようなところから、聞いてみました。
おばちゃんは、たくさんのことを話してくれました。
母の生い立ちはこのあたりで書きましたけど…。
このブログ、つけておいて本当に良かったなあと、ちょっとしみじみ思っています。
このころ(数年前)ははっきりと覚えていた私ですら、少し忘れかけています!
年齢もあり、ストレスもあり…。
今は、少し回復してきたように思いますが、やはり年齢はどうしようもありません。
まず、引き揚げてきてから、郷里のかなり田舎なところに居を構えたようです。
かなりの内陸だし、山の中の盆地です。
そういえば、母が疎開っ子、疎開っ子といってからかわれたという話をしていました。
わたしはかなり晩年になって生まれた子供ですけど、母は本当になまりがないな!とずっと思っていました。
その「なまりのなさ」も、容貌と一緒になって、少し母を周囲の人々から違う風に遠ざけていたと思います。
少なくとも、よく母だけでなく、おばたちも言うように「田舎のおばちゃんたち」とは自分たちは違うのよっ、という自負があったと思います。
そんな自負は、地域に古くから住んでいる人たちにとって、たいへんに目障りであったであろうことも、推察できます。
しかし母は、とても性格がつよいので、疎開っ子とからかわれても、まるで平気な顔をしていたそうです。
すると、上級生の女子が集まってきて、裏山に呼び出されたことがあったと言っていました。
「そ、それでどうしたの!?」
まるでまんがかドラマのような展開に、幼かった私はびっくりしてしまいました。
「それがね、何て言い合いをしたのかよく覚えてない。生意気だとか何とか言われたような気がする。でもとにかく、何て言い返したかは覚えてないけど、平気な顔して強い口調で言い返したら、びっくりした顔して黙ってしまったのを覚えてる。そのうち、だれかが先生を呼んできて、ばらばらみんな散っていったの」
そうなんだ…。
とりあえず、呼び出したとはいっても女子のこと、暴力沙汰になるようなことはなかったようです。
「でもね、おばあちゃん(母の母です)が先生に呼び出されて、話し合いになった。でもねー、おばあちゃんきれいな人だったからね!映画女優みたいだって言われてて、教室の窓は鈴なりだったのよ!男子からも、『おまえのお母さん美人やな~』って言われたこと何度もあった」
母の母は、おだやかな顔立ちの人でした。
わりと彫りが深くて、なめらかな肌を持っていたことを覚えています。
私は、母の方がきれいだな~と思っていました。
しかし、悲しいほどこういう容貌を自分が受け継がなかったことを考えるとかなり複雑です。
いいんです、父に似ていれば…それで…。(複雑)
* * *
で、肝心の母の恋愛といえばです。
まず筆頭はS先生です
こちらで書きました。
でもこれは、母がまだ若かった頃のことです。
中学生というとJCです。JKですらありません。
それで先生とそのまま結婚というのは、さすがに母も、今一つぴんとこなかったのかもしれません。
でも母は、このお話がたいそう自慢で、何度も何度も何度~~~も話してきかせられました。
先生がいかにモテたか、というのも忘れずに話してきかせて、
モテた人からモテた→しかもフッた=それぐらい自分はすごい!
という論調であったと思います。
母を知っている人ならみな、
「まあ、あの人だから」
でわかってもらえることと思います。
四角関係の九州ラブストーリー
おばから電話がありました。
母の妹、ちょっと自慢するクセはあるけれど、基本とても明るいおばからです。
まだとても元気です。
おばの四十九日が終わり、小さな可愛いお墓を作ってもらった、とのことでした。
早い、なんて早いんだろう…。
あんなにも大騒ぎをしている最中に訃報がとどき、おばちゃんの死に顔を見てなんて綺麗なんだろうと思ったのは、ほんの何日か前のことのようです。
とてもはっきりとした記憶として残っていました。
「正直、うらみもあったんだけどね」
おばちゃん、まだ言ってます。
姉妹の情としてはきっと、仕方のないことと思います。
こちらは介護する側の立場としてきいているのですが、今は仕方ないと思えるようになりました。
おばも、色々葛藤があっただろうなと思いました。
そこから、昔の思い出話になりました。
驚いたのは、おばの記憶がものすごくはっきりしていることです。
想像以上にはっきりしています。
若いころ、幼いころの記憶まですごいです。
昔はよく母から聞いていたのですが、母が認知症になってしまってから、あまりの大騒ぎに吹き飛ばされたような感じで、忘れてしまっているところも多かったです。
興味を持って聞いているとおばもうれしいようで、あれこれと話してくれました。
「聞いたことある?お母さんの恋愛」
「ええ、たくさん聞いてきたけど」
「そうよ~とにかくあの人はね!モテてモテてすごかったからね」
「でも、好きだった人はねえ……一緒にボートに乗ってて、その人のほうに、お母さんと恋愛する覚悟がなかったっていう話をされたって話はきいた?」
「ききました」
このあたりで、ちらっと書いた話です。
「もうひとり、作家さんになった人のほうは?」
えっ。
それは知りません。
初耳です。
よく話を聞いてみると、どの人かはわかります。
その、「ボートに一緒に乗った人の親友」で、「母の親友と結婚した」という人です。
す、す、すごい…。
よ、四角関係だ~~!!
昭和のラブロマンスだ!
九州ラブストーリーだ!
母は、その人の話をよくしていましたけど、まさかそっちも恋愛にかかわっているとは思わなかった!!
さすがに、娘のわたしに、「自分の親友と結婚した人とロマンスがあった」などという話をすることはできなかったのでしょう。
もしおばの話を母が聞いたら、すごい勢いで否定してくるかなあ。
それともやっぱり、
「知らん!わからん!」
と言ってしまうのだろうか。
「それにしても、おばちゃんすごいね」
本気でほめると、
「覚えているうちに話しておかないとね!こんな話ができるのも、もうおらんからねえ…」
と、しみじみとした声になりました。
おばちゃんのところは、男二人兄弟なのですけど、何となくいま自分が男の子と女の子を持っている身としてはわかります。
女の子はそういう話を興味をもって聞いてくれますけど、男子はわりとてんで興味がないところがあります。
人によるのかもしれませんけど、おばちゃんのところの二人兄弟は、こういう話はあまり興味がないだろうなー。
亡くなったおばがいたときは、話もできただろうし、でも今はこんな話ができることもなくて、さびしい思いをしているだろうな。
さらに突っ込んで、いろいろと聞いてみました。
アウトドアしたくてたまらない人たち
Youtubeのキャンプ動画、最近はあまり見なくなってしまいました。
というのも、多分、慣れてきたからなんだと思います。
自分たちのこうありたい、こうしたい、というのが先に来るようになってしまいました。
最近は、網だけ持って行って、石を積んでそこに乗せていました。
オムレットくん、得意満面です。
「みろ!これが!これこそ!真のアウトドアなんだよ!」
たぶん、こういう感じで何も使わずに、あるものだけを利用して小さな火を起こして、釣りをしたりしたいんだろうな。
ちいちゃな焚き火台は私にくれたので、私はそれで火をおこして、お湯を沸かしたり、ソーセージを焼いたり細々とやっています。
オムレットくんは石を積んだかまどで、お肉を焼いたり、アルミでつつんだじゃがいも、たまねぎ、さつまいもなどを焼いています。
多分この極限まで原始的なやり方がわたしたちにはあっているんだろうな。
しかし、もう最後に焚火をしたのもかなり前のことなので、次にできるのはいつのことやら、です。
* * *
大雨の被害があったので、オムレットくんとよく焚火に行く川沿いがどうなったか見に行きました。
景色がすっかり面変わりしてしまっていました。
川岸が崩れまくっています。
ですが、普段焚火をしていた所は、何とか無事というか、様子は変わっていますができなくはなさそうです。
しかし、立札が立てられていました。
「感染対策により、こちらでのバーベキューは、自粛してください」
英語でも書かれています。
確かに、明らかに日本語ではない東洋系・かなりラテン系の人たちもたくさん来ていました。
ちょっとした穴場スポットなので、口コミで何らかのコミュニティに広がってしまったようです。
夜にパリピな感じの人たちがきて、騒いでいるのではないかという気配もありました。
テキーラの瓶などが、たくさん放置されていて、正直、あまりマナーがよい感じはしませんでした。
炭もう放置したまま、周囲にはごみが散らばり、とてもいやな感じです。
こちらは、BBQ台すら出さず、ぼそぼそと焚火をしてベーコンなど焼き、お湯を沸かしてラーメンなど食べて帰るだけなので、おとなしいものです。
よくアウトドアの写真などで活躍している、ガス缶すら持っていません。
このオシャレな奴です。
アウトドアが流行るのはいいけど、マナーがひどいなあ。
このままでは、閉鎖されてしまいかねない。
オムレットくん、のんきにこんなこと言っています。
「うん『自粛してください』っていうことは、やっぱりこの川沿いではしてもいいんだってことがはっきりと証明されたぞ!」
回れ右して帰ろうとすると、車が列をなしています。
そして、みな次々に車を止め、立札などまるで無視で、ガンガンに設置をはじめてしまいました。
(ごく普通の夫婦連れが多かったです)
えええーーー。
さすがのオムレットくんも、言っていました。
「あれはまずい。自粛してくださいって書いてるのに。通報されて本当に閉鎖されちゃうぞ」
みんな、コロナでよほどストレスがたまっているのか、もう麻痺しているのか。
それとも単純に立札に気が付いていないのかな?
再び焚火できるようになるまで、かなりかかりそうです。
これはもうずいぶん昔の画像です。
今はもう、お蔵入りで使っていないBBQ台です。