おばあちゃんが認知症になった話
わたしの家事が復活したことで、オムレットくんに変化が出てきました。
仕事もやめ、おばあちゃんにも会えないとなると、やることは一つしかありません。
たぶん、この時に有給を取っていなかったら、ゴリラさんも白くまさんも、頭から信じてくれなかったような気がします。
あんなに可愛がってもらったのに。最期に顔も見られず、お葬式にも行けないなんて…。
母の三番目の妹さんから電話がありました「(真ん中の)おばちゃんが、亡くなりました」
認知症、という症状にたいして、千差万別だと思っていました。
オムレットくん、最近はわりとおだやかに過ごしていたので、怒りはじめたのでびっくりしました。
病院の先生と、話し合いの場を持つことになりました。
いつも勢いのよい、会社のしろくまさんは丁度この騒ぎの間お休みをとっていました。
状態を抵抗しながら起こしますけど、すきあらば寝ようとします。
陽性でも、入院が明らかに必要なさそうな無症状だった場合はどうするんだろう!?
先生、「電話してあげる。待合室で待ってて」と言って大きな病院に電話をかけ始めました。
はたと気がつきます。車椅子を借りに行ってる間、母はどうしたらいいんだ…?
出かけるときに、車で迎えに行ったのですが、(あとで考えると能天気でした)、ラジオがかかっていました。
さて、母は発熱をしたとのことですが、そのあと施設からはなしのつぶてです。
母のこと鬱々としていると、けいちゃんおじちゃんから電話がありました!
あれこれ考えても、思考が乱れてまったくまとまりません。
もし、するのであれば、市中でPCR検査ができる病院にかかるか、お医者さまから連絡してもらう、という形のようです。
しかし、まずはそのかかりつけ医さんから言われた「ご家族が望むなら大きな病院でPCR検査を」という所です。
このように感染者数が増えてしまっては、いつも通り面会・外出を許可することもできそうにない…。
もともと、母には、生命力、底力のようなものをいつも感じます。
食がすすみません。いつものように、すごく食べ物を探すという感じではありませんでした。
去年、最後におばあちゃんに会った日は、家族がみんなそろっている日でした。
義母さんには、無事におばあちゃんが食欲も復活しつつあります、というご報告をすることができました。
お母さんがパンになってしまった夢の話を書いていて、「治れ治れ治れ」という呪文を思い出したのが、一番心に残りました。
他人が見た夢の話なんてつまらないとよく言われるのですけど、何だか変わった夢だったので、書いてみます。
「母の食欲はどうですか?」「それが、食べてらっしゃるようですよ!」とのこと!!
時期が時期ですから、施設で咳をするのもすごく注目されてしまいます。
12月も半ば過ぎ、母はとてもいい感じに元気です。食事の量も、むらはあるけど戻って来たと言っていました。
母を送ったとき、あちこちクンクンしてしまいましたが、うっすい服のことも気になりました。