2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧
認定調査までに起きた面白い(と言っては何なのですが)騒ぎは二つ。 一つは、警察にお世話になったことです。
所長さんが迎えてくれました。 「やっぱり施設を変えた方がいいんでしょうか…」 もうこれは仕方ないかなと思います。
「もっと少人数でよく見てもらえる、グループホームの方がいいのかな?」 母は敏感に反応しました。 「いや、ここは悪くない。ほかに行くぐらいならここがいい」
久しぶりの騒ぎでした。 朝の七時に電話がありました。 「地元に帰ると言って荷物を持ってバス停にまで行ってしまいました~!!」
押し問答が続きましたが、母も次第になじんでくる気配も見せています。 何よりも所長さんのご尽力が本当に大きかったです。
「テレビが小さいから何とかしてね。あんまり安っぽいものだとみじめだから邪魔でも大きなものがいい」 もー!いたくないと言う割に要求多い!
施設では、所長さんがにこやかに迎えてくれました。 とても感じがよくて愛想もよくうながしてくれるのでスムーズでした。
部屋に入ると、不機嫌な様子でぎょろっとにらみつけられました。 それほどおとなしくなっている様子はないです。
ホームに近付いているというのに、母はものすごく固いにぎりこぶしを作って薬を離しません。 指をほどいてみようとしましたが、とても無理です。
「テストの結果はずいぶんな高得点でしたね~」 「はい、あれはもしかして認知症ではないんでしょうか!?」
母は、大きな旅行用のカートを持っています。 もう帰る気満々!準備万端!です!といった雰囲気です。
母の錯乱状態が一瞬収まりました。 「けいちゃん、そんなに悪い?」 と聞いてきます。
「今日は部屋中の片づけをしたからずっと忙しかったのよ、何か変わったことはない?」 何を片付けているんだろう。 めっちゃ不安です。
父はとても無口な人でした。 しかし冗談が好きで、いつもニコニコ笑っているおだやかな人でした。
母は長女でしたし、戦後の一家の中でとても面倒みきれない兄弟姉妹をまとめることをしていました。
2005年の自分の日記の中に、母の記憶のかけらのようなものを見つけました。
終戦1年前に、おじいちゃんに「赤紙」(軍の召集令状)が来ました。 母の語り口は感情がこもっていて面白くて、劇を聞いているようでした。
母の父、わたしのおじいちゃんは山口県出身でした。 「毛利の殿様」の話を母にもよくしていたようです。
お話では、今回の騒ぎは認知症というよりは、性格8割でとにかく私に反発して起きたこと、意地になっているだけなのではないか、ということでした。
お母様にとって幸福な状態を作ってあげたいがどんな状態ですか?人との交流ですか、外出ですか?
オムレットくんがわりと悲壮感がなくて、面白そうな顔をしていたのがちょっと救いになりました。 車に乗ってぐったりします。
所長さんに 「母が『地元に帰るお金はある』、みたいなこと言ってましたけど…今日何かしてましたか?」 と聞いてみました。
こういう時の母は実にパワフルです。 さすがに、体操クラブに通い、日々鍛えてきただけのことはあります!
母の様子がおかしいです。 おかしくないわけないのですが、いつもにもまして変です。
母は大声で叫び、力づくで止めている私を押します。 言っていることは支離滅裂です。 でも、ここを出るという意思だけははっきりしています。
その日の夕方に、ホームから連絡がありました。 母が荷物をまとめて帰ろうとしているとの事です。
従うか、従わないか。 決定権をどちらが握るか。 母と私の間で激しいせめぎあいがありました。
毎日、おそろしく暑い日が続きます! あんなに雨・雨・雨だったのに…。 太陽が当たっている場所の暑さと、ちょっと影に入った時のすずしさが全然ちがいます。 オムそばちゃんが 「全世界の人がクーラーをつけるべき」 といいます。 するとくるみくん 「バカ…
母から電話がかかってきました! 「お母さん、大丈夫?どう?そっちは」 「いいわけないわ!」