母のこと叔母のこと 2
話が出来なさそうなのに、電話をわざわざ回してくれた施設の方に感謝でした。
そこまで衰えてしまっているということがショックでもあり、電話を待つ間すごくどきどきしていました。
「耳にあてますね」
と言われたので、返事が返ってくるものか、私がわかってくれるかと不安ながら声をかけてみました。
「おばちゃん、りきです、わかりますか?」
姪ごさんですよーという声が聞こえました。
「あっ、反応されました!分かるみたいですね」
すると
「もしもし…」
と言う、か細い声が聞こえます。
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おばです。
あまりにも久しぶりの事で、ちょっと涙ぐんでしまいました。
すごいか細い声を二言三言、交わした後に、
「また目をつぶってしまわれました」
と施設の方がいいます。
仕方ないです。
ここまでかな、と思ったとき、施設の方がもう一度ダメもとで何度か、叔母の名前を呼んでくれたのが聞えました。
そして耳にあてた電話口から、
「わかっとるよ!」
という叔母のはっきりとしたきつい声が聞こえました。
びっくりして物も言えずにいると、施設のかたの声がして
「あのう、すみません、また目をつぶってしまわれました」
とのことです。
「も、もう…結構です。本当にありがとうございました」
と お礼を言って切ったのですが、なんだかドキドキが止まりません。
ちょっと鳥肌が立っていました。
耳の奥にその叔母の声が残って離れません。
おばちゃんが怒って不愉快に思っているときに出す声でした。
もう話しかけても反応がない、寝たきり…と言われているおば ですが、こうして電話をかけてみて、 思いもかけずわかったのは、おばちゃんはまだ意識がはっきりした所も残っていることでした。
施設で暮らすことが納得いかず、嫌でしょうがないと思っていることが、パッと目の前に開けるように見えました。
おばちゃんのことが気になっていたのは、やっぱりそこが分かっていたからです。
それは私以上に、おじはとてもよく知っています。
住み慣れた家を離れて施設で暮らすことなんて、絶対に絶対に嫌である人なのです。
だけど私も、もう一人のまだ元気なおばも、それでももう、施設に入れた方がいい、それしかない。
そうでなければおじが無理だという意見は完全に一致していました。
母はまだ、理性でわかっているときには
「仕方ないからね、いいところ探してね」
と自分で言う部分がありました。
でもおばちゃんは、頭っから絶対に嫌なひとです。
わかっていたから、おじもあんなにも負担なのに、ギリギリまで自分で面倒を見ようとしたのです。
でももう追い詰められてどうしようもなかった…。
でもこんなに唐突に、コロナのせいで完全に引き離されてしまうなんて、予想もつかなかったことでもありました。
おばちゃん、骨折したって言ってたな…。
普段から(母よりもずっと)歩くこともままならないおばが、車椅子から立ち上がってまでどうしようとしたのか、よく分かる気がしました。
施設でもめた時の母の声をはっきり思い出しました。
「あんたにはね、とても感謝してるの!
色々考えてくれて、心配してくれて、それは十分に分かってる。
でもね、ここは私の家じゃない。
ここで暮らすことは出来ません。
私は私のいるところに帰ります。それだけ!」
そう言って、カートを引っ張って決然と出て行こうとしていました。
それができないんだ、暮らせないんだ。
もう、人の手を借りなければやっていけないんだ、という事実と、嫌だという心は両立出来ないです。
このことは おじちゃんには話をすることができないなと思いました。
母をはじめとした姉妹は三人娘のお嬢さん。
三人三様に、タイプの違うわがままさんです。
おじちゃんも、申し訳なさや不安を抱えながら、どこかで開放されてほっとしている。
そんな気持ちが手に取るようにわかりました。
なんだかすごく気持ちが落ち込んで、暗い沈んだ心になってしまいました。
こんなにお世話になり、可愛がってもらったのに、よくおばちゃんは「私には姪がいるから」と冗談のように言っていたのになあ。
こうなってみて遠くに「お嫁に来た 」私にできることなど何一つない。
それどころか、自分の母すらまともに面倒を見てあげることができないという事実を、はっきりと思い知らされたからだと思います。
そしてそんな気持ちで 母のデジタル面会を迎えました。
実家近くで秋に撮ったものでした。
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