わがままになったオムレットくん
しかし、叔母のお通夜から帰ってからすぐに、オムレットくんの言ったとおり、あっという間にものすごい感染爆発が起きてしまいました。
ちょうどオリンピック最中で、毎日、4000人越えという陽性が出ていたときのことです。
今、少しだけ落ち着いてきていますが、もうとても施設に
「会わせてください」
なんて言える雰囲気ではありません。
考えても考えても、何の答えも出ない問題です。
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わたしも、もっと早くに知らせればよかったのですが、何しろ本当に覚えているのかいないのかはともかく、母にとっては実の妹であるおばちゃんの名前も
「知らん!わからん!」
とはっきり言われたので、気が重くて知らせていませんでした。
でも、話してみるとおじちゃんも同じ意見でした。
「そりゃあ、ねえちゃんはわかっとるわ。言葉には出んしわからんと言うかもしれんけど、それはな、りきちゃん、すねとるんじゃ!ねえちゃんのことじゃけえ」
わたしもそう思います。
あの怒ったような顔が、何も覚えていないというとはとても思えないのです。
「何しろ、会えないというのがね…。さすがにここまで蔓延しちゃうと、どうしてもお願いします!って言えなくてね……」
「おお、そうじゃ、それなんじゃ!本当に参ってしまうんじゃ。精神的にこっちが参るんじゃ!」
と言ったおじちゃんの語気が、あまりにも強くて、ああ同じ思いだったんだなあとしみじみ感じました。
「食べ物も、食べられなくなっているみたいで」
「そうじゃ、そうじゃ!おばちゃんも同じじゃ。つらくてのう、神経に来るんじゃ」
同じことを経験した人の実感がこもっていました。
「しかしのう、こればかりは考えても仕方がないことじゃからの。もう考えたらいけん!体の方が大事じゃぞ!」
* * *
あまりにも周囲も自分もワーワーして、嵐のような日々でしたが、今あらためて改めて調べてみると、東京オリンピックは7月23日から8月8日だったんですね……。
もう、一体何があったのか、ほとんど記憶に残っていない日々です。
一か月も経つなんて信じられないぐらい怒涛の毎日でした。
母のことは結論が出ないままですが、わたしの家事が復活したことで、オムレットくんに変化が出てきました。
わがままになってきたのです!
しかし、オムレットくん、これまで非常に体の調子が悪くなっていました。
特に、四十肩(五十肩?)がひどく、病院に行っても治らず、薬からステロイドの駐車、ヒアルロン酸の注射と、しだいにレベルも上がってきました。
夜に痛い痛いと悲鳴を上げて起きることもあり、本当にかわいそうでした。
土日のお料理がオムレットくんの担当になっているのも、何となく負担が大きいのではないかと思っていましたが、何しろ会社ストレスで起き上がれない状態です。
それもあって、せめてお弁当は頑張ってみてあげようとしたのですが、五時起きで会社でふらふらになるという逆効果。
それが、土日のお料理も復活、徐々に家の中も片付いていき、お弁当も作れるという状態まで復活したのです。
すると、目にみえて、オムレットくん、肩の痛みを訴えることが減ってきました。
これが治療の成果なのか、ストレスが少し軽減されたからなのか、まったくわかりません。
でも、よくいう「肩の荷がおりた」というものなのではないかなあと思います。
それだけですめば良かったのですが、オムレットくん、弱っていたのが少し復活してきて、元気になってきてしまいました!
無駄に元気になったので、土日も、わたしが料理をしている周囲をウロウロして、あれこれと口を出すようになってきました。
やり方がちがう!そうじゃない!
それはこう切るんだよ!
という感じです。
(本物の姑はまったくうるさくありません)
う~~~ん。
これはまかせた方がいいのだろうか?
それとも、元気になってよかったね、ですませるべきなのだろうか?
これ、「私がまだ働いていて、元気になっている」と思っているから、こうなってるのでは?
とても、辞めます☆なんて言えない雰囲気です。
また具合が悪くなったらどうしよう。
たぶん、これまでつらかった分、甘えているんだと思います。
ちょっと様子見だな…と思っています。