深夜の口論 2
オムそばちゃんが絵を描いていました。
「ねえこの前の可愛い雷の女の子見たい。検索して」
「雷の女の子?」
「びりびりってでんき出すの。仲良しの男の子の方ははサイテーだった」
???
謎だ…?
「角が生えててね、水着なの」
それはもしかして…
「そうそれ!」
「ラムちゃんかあー」
どこで見たんだろう?以前、これなに?と言われて検索したことがあるような気がします。
子供って面白いものに注目するなあ
「ああ、ラムちゃんを思い出すと胸が痛むなぁ」
「どうして?」
「ラムちゃん可愛いなと思って絵を描いたんだけどね、おばあちゃんが真っ青になって」
「なんで真っ青になるの?」
「いやほら、ラムちゃん水着じゃない?何これ!?下着しかつけてないなんて!!はしたない!!!こんないやらしい絵を描くなんて!って大騒ぎだったんだよ」
軽いトラウマです。
しかし今見ると、ラムちゃんすごい格好してますね。
母がびっくりしたのもわかるような気がします。
~~ 深夜の口論 2 ~~
「だから!!(以前からのホーム探しの話)それで!!!(ご近所からの電話)何度も言ったけど!!(物盗られ妄想)お母さんが!!!(迎えに来てくれと言われた)」
涙まじりにギャーギャー騒ぎながら説明すると、やっぱり最終的には、
「そんなことならもうここにはおれないね。一緒に行く。ホームを探してちゃんとしないといけない」
という所に落ち着きます。
とにかくやることはたくさんあるので、ぎゃーぎゃーわめきながらも手は動かしていました。
騒いでいる間にごみの袋が二つ増えました。
怒りながら「これはいるの!?これ使ってる!?」と確認していったので、引越しの荷物もトランクの中身も充実しました。
準備はどんどん整っていきます。
ゆっくり、落ち着いて母の目線にあわせて、手を握って話してきかせるなんてとても出来ませんでした。
だいたい、まだ認知症とはっきり診断されたわけでもないに、余計な事を言ってしまったと思いました。
お年寄りには、反論したりけんか腰に指摘してはいけないと言われていること、頭では理解していましたが、どうしても「そうだね、そうだね」と流すことができません。
感情だけではなくて、それは母の生き方や扱われ方に反することでした。
母はよく言っていました。
「私はどんな人にも真正面、一度だって背中を向けたことなんてない!」
どんなに「ぼけて」いても、適当にその場をごまかしてりなんて、そうされたくはないだろうと思います。
泣いても喧嘩しても罵倒しても、本音をぶつける方がまし。そんな人でした。
母の「本音」という名前の無遠慮な言葉にずっとたくさん傷付いてきましたが、それでも根っこにはやはり本音の大切さへの意識も確かにありました。
二人の間に共通する「ほんとうのこと」。
これを崩してしまった時、二人の間の人間らしい感情も終わる気がしました。
母がただの人形になってしまいそうでした。
「だからー!!言った!!!何度も言ったし!!!もういい加減にしてーー!!!」
こんなに叫んで机を叩いたり足を踏み鳴らしたりして、打撃となって母を壊している自覚もありました。
けれど、仲良し親子ならいざ知らず、今まで何度も何度も口論して喧嘩してし続けてきました。
こんな風にして、無理矢理に実家から引き離して連れて行き、知り合いもまったくいない施設に入れてしまえば、急速に認知症が進むかもしれません。
環境が変わると、急速に記憶がおとろえると読んだことがありました。
でもどこかで、急速に進むことを望む自分がいるのも感じていました。
→→ 転倒 1 に続く