決定的なこと
今思うと、わたしはよっぽど母に似ていなかったんだろうな~、と思います。
前からブログでは、母はモテモテで、美人だったと書いてますけど、本っ当~~に、わたしは父にそっくりで、ちっとも母に似てないのです。
先生、娘だと聞いて、態度が変わりました。
そして、私に申し訳ないと思ったのか、照れ隠しなのか、戸惑いなのか、こちらもあまり深刻さがない様子で、するするっと説明しました。
「あのですね。はっきり言うと、大腸がんです」
大腸!
胃かと思っていました…。
マイルドクレンジング オイル <つめかえ用> 2袋 【ファンケル 公式】
「それでですね、それだけではないです。肝臓にいくつも転移があり、もう手がつけられない状態です」
「………」
「お年もあるし、抗がん剤は命を縮めるだけ。あとは、終末の看取りをどうするか。かかりつけ医さんと話し合ってみてください」
「………」
奇妙に冷静でした。
胃じゃなかったのか。
そればかり考えていました。
がんの終末…。
いったいどうなるのだろう。
今まで、母と一緒にたくさん調べてきたのに、何だかまったく頭に入ってきません。
副作用…モルヒネ…。
そんな断片的な単語ばかりです。
食べられないのは、肝臓の影響のようです。
栄養を吸収することが出来ないのだと言われました。
何より、ショックがありません。
手をぎゅーっと握り締めてこらえていますけど、涙をこらえているというわけでもない。
ずっと、母がああして家で暮らせなくなって、抵抗して抵抗しても、無理やりにこっちを連れてくる大騒ぎの過程、行程の中で、少しずつ少しずつ、死への準備を二人でやってきたんだなと思いました。
もう、準備はすっかり出来ていて、なのでこんなにショックも涙もないんだな。
何度も何度も、この状態で母の最期はどうなるんだろうと考えていたものな。
母が可哀相、もっと生きていて欲しい、そんな風に思わないといけないんだろうけど…。
家ではないけど、家でずっと一緒だった家具に囲まれて、家にあったベッドの上で、母は死ねるのかもしれない…。
ポジティブすぎるだろうか…。
私は、もう一つとても気になっていたことをききました。
「余命のようなものはありますか?」
「そうですね」
お医者さんは答えました。
「二週間後か、三ヶ月後か。それはわからないことですね」
二週間!
ここでその単語が出て来ると思いませんでした。
食べ物を食べなくなったら二週間。
食べなくなったら二週間。
あの「二週間」が、こんな所で思いっきり顔にボールみたいにぶつかってきて、ここではじめてショックを受けたように思います。
* * *
実はかなり頑張って下記事をつくり、はてなで予約投稿をしていたので、こうして実際に記事を書いているのは、かなりあとのことになります。
思い出しながら書いているのですが、こうして文字に出来るのはやはり、かなりたってからでないと無理だったな…と思います。
外に出て、車椅子のままで、誰にも付き添いされずにずっと座っている母を見て、またその扱いになんとなく腹が立ってきたのを覚えています。
もし元気でパタパタしている頃だったら、さっさと立ち上がっていただろうな。
実際に、骨折をしたときはそうだったのです。
いくら歩行器を使うように看護士さんたちが説得しても、車いすに座っていても、すぐ立ち上がっていました。
それがじいっと座っている。
この急激な衰え、変化は…。
二週間という数字は、やはり本当なのだろうか。
割と元気に普通に母に、
「お待たせ、じゃ~、行こうか!」
と言って連れ出しました。
先生とのお話が、予想外に長くなってしまったのは、午後の整形外科のキャンセルの話をしていたからです。
内科の先生は、
「それはすぐにしてあげますよ。体力もきついでしょうし、こんな状態なら当然です」
と言って、キャンセルをするよう看護師さんに頼んでくれました。
こうなっては一刻も早くここを出たい。
それに、もし午後があいたのなら、少し人のいなさそうな公園なりにちょっと母を連れ出してあげたい。
すると、内科の受け付けてこう言われました。
「整形外科さんの方が、ちょっと受付にだけ寄って行ってほしいとのことです」
ハンディクリーナー エアダスター キーボード 掃除 キーボード 掃除機 USB充電 50分連続使用可