久しぶりの母訪問 2
顔なじみの施設の方々が温かく迎えてくれました。
そうです、あれっと思うことがある前は、こんな感じであたたかかったのです。それでここを選んだのですから…。
そしていろいろな改善をしたことを説明してくれました。
見る人数は増えていました!
いつも一人か二人で、一人はてんてこまい、一人は休んでる…こんな感じだったのが一番不安に思ったことでした。
人が増えたので余裕も出ています。
入居者の方々もいつもの顔ぶれでした。
母は背中を向けています。いつもの席です。
後ろから見ていると、皆さんずっと無言なのですが…母はひっきりなしにしゃべり続けています。
やはりここでもおしゃべりの癖は健在か~。
そして私に気付いて母はすっくと立ち上がり、スタスタとこちらに歩いてきます。
数日の入居の入院手術の一週間にも及ぶ入院の影響などは全く見せていません。
若干、こちらの方がとまどうぐらい元気で、変わりない姿でした。
母はじーっと私の顔をのぞきこんで、
「あんた私のお客さん?」
と母は言いました。
「あれ…誰かな?これは…○○子?○○子?」
二人の妹(おばちゃん)たちの名前を次々に呼びました。
娘だよ、りきだよ、と返事をすると母は
「あらまあ~!ずいぶん大きくなって!」
と言いました。
ニコニコしてとても穏やかな顔をしていました。
私の不安だった気持ちがすうっと抜けていきました。
本来なら、
「ええっ!そこまでわからなくなってるの…!?」
とショックを受けるところだったのですが…。
頻繁に会って様子を見ている中で、前兆はありました。
少しずつ、少しずつ記憶が途切れていってました。
亡父はどこに行った?と訪ねたとき…。
父のことを次第に話さなくなったとき。
もうとうの昔に亡くなっている自分の両親はどうした?と聞いたとき。
症状が進んだ今、中途半端に覚えているよりもそこまで忘れていてくれた方がとても穏やかでした。
わたしのことを認識し、わたしと一緒にいるのが普通と思っていると、「帰る帰る帰る!」となってしまうのです。
少し距離を置いたのは正しかったかもしれない。
症状は進んでしまいましたが、何か一つ抜けたのかもしれないという気持ちがありました。
施設の方に話を伺うと、帰りたい帰りたいとはやはり言うそうです。
そしてやはりわがままを言って困らせているところもあったみたいでした。
そうです!
母はなかなかわがままな人なのです。
洗濯ですが、指摘して良かったです。
やはり、母自身が
「洗濯は自分でするからいい!」
などと主張して、職員さんも真に受けてそのまま任せていたようでした。
全然認知症として扱ってないぞ?と思っていた職員さんのことも把握されてました。
母はよくしゃべるし元気で、一見大丈夫そうに見えてしまう所があります。
「いや、でも認知症なんだからできるはずがないことはわかっているはずなんです。なのに、そこのところが自分たちも職員への教育が不十分でした」
と謝られました。
母に言うこと聞いてもらうのに、色々と骨折っているようでした。
他にも色々、「自分でする!」と主張するのを任せてしまっていたようです。
「あれ(クレーム後)からは、そうですか~と言って一旦引きさがり、見ていない間にそっと引き取ったりしまったりしておくということもしています」
とおっしゃっていました。
認知症の介護のこれが一番本当に腹が立つのですが、本人はできると主張するのですが出来ないのです!
できるはずがないんです。
ここで生まれる軋轢が本当に大変なストレスになるのでした。
ダイヤモンド・ユカイさんのニュースを見ました。
「強く正しい母」であったと書かれてました。
年老いた親をだますなんて、最悪だなと思いました。おふくろは、オレが鳴かず飛ばずの頃から応援してくれた唯一の人。でもほかに方法がなかった。
認知症の介護というのは、嘘に嘘を重ねなければなりません。
適当に話を合わせ、適当にごまかしながら気付かれないように後ろでこそこそっと修正する、という生活をしていかなければなりません。
正直な真面目な人にはとてもつらい現場だと思います。
一生懸命やろう、お年寄りに向き合おうと思っている人ほど合わないでしょう。
かといって、あのとき気になった職員さんのように、お年寄りだけで放置、まともに見ないで自分の時間を作ってしまう…というようなことをする人では事故が起きてしまうのです。
本当に難しいと思いました。
やっぱり、足を運ぶことは必要だと思いました。
しかし何と言っても私にはブログがあります!
「ブログで今日も母の事を書こう」と思っていけばいいのだと思いました。