母の調子のよい日
こんな旅行してる間に、次に「母の外出日」で約束した日が近付いてました。
くるみくんに、ちらっと言っても仕方のない愚痴をこぼしたりしてました。
「おばあちゃん、忘れちゃうからって、お父さんどうしたお父さんどうしたって何度も聞かれて、その度ごとに死んだ死んだって答えないといけないのはやっぱりきついな」
一度、この病気になったら、その細胞はいつまでも残るものなのかな。
体の中でじっと待機してて、今まではお母さんの生命力と気力で抑えられてたけど、それが爆発したみたいな感じなのかな。
たぶん、母がいちばん望むのはやはり、外へ連れ出して気晴らしになることのような気がします。
もしかすると、人が割といる場所です。
母は、色んな人を観察するのが好きでした。
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すごく印象的だったのが、小さな女の子を見て、相好を崩して
「まー可愛い!本当に可愛いね」
と言ってたことです。
(ペットショップの所にも行ったのですけど、犬猫にはぜんぜん無反応でした…)
母は昔から子供ずきで、赤ちゃんから3歳ぐらいまでの子供が特に好きです。
子供を見るといつも目を細めていました。
子供の方も母が好きでした。
赤ちゃんなど、気難しくてむずがっている子も、母に抱っこされるとおとなしくなってました。
母は見た目も綺麗だし、さかんに揺すって
「かわいいね、かわいいね」
とめちゃくちゃ可愛がってくれるし、子どもの方も子供ずきな人はわかるんだろうなと思います。
確かに介護施設だと…そこで目にするのはほぼ、お年寄りばかりなので、心癒される時はないような気がします。
困らされたり、何をしようとしても反対された記憶ばかりで、楽しかった記憶が全く思い浮かばない、思い出せないなと思っていましたけど、わたしも小さい頃は母が大好きでぜったいに母の味方でした。
大きくなって意思が出てきてやりたいこともあるのに、それを真っ向から否定ばかりしてくるのにぶつかってましたけど、やっぱりすごく可愛がってもらったのです。
施設に迎えに行くと、なんだかいつもよりぜんぜん元気な母が出てきました。
「まあよかった。お母さん、すごく元気。笑顔だし」
私を見て嬉しそうな顔をしてくれました。
いってらっしゃいと送り出されて、どうしようかなとちらっと思ったのですけど、今日は色々とすることがあります。
可能な範囲でお付き合いしてもらうことにしました。
まずは、ちょっと家に寄って、オムそばちゃんが帰っているかどうかを確認します。
久しぶりなので、顔も見せてあげたかったです。
オムそばちゃんがとんだりはねたりしながら(相変わらずです)やってくると、母はわかってくれました。
「あんたの娘、わたしのまご!大きくなったね!」
と言うのです。
オムそばちゃんのこと、わかってくれた。嬉しいです。
まずは、ガソリンを入れにいかなければならないのでそちらに向かいます。
母はあまり話さず、黙しがちでした。
おしゃべりをするパワーがもうないのか、言葉が浮かんでこないのか…。
ただ、こちらが問いかけると、はっきりとした答えか、もしくははっきりと「わからない」「わからん」と答えます。
実は、病院に行ったとき、母のにおいが少し気になりました。
この病気の人は、独特なにおいがすると聞きます。でも、そのにおいがどんなものなのかわからないし…。これがそれなのか判断がつきません。
ですが、今日はそのにおいがぜんぜんないのです。
私があれこれおしゃべりしながら、目を見て(目を見ると認知症にはよいと書いてあったので…)話しながら、もちろん運転中は無理なのですが、信号で止まったときなど手を握ったり、話したりしながら用事をすませます。
母の指は冷たかったです。でも、力はすごくあって、ぎゅうっとこちらをにぎってくれました。
しみじみ幸せです。
どうしてこんなに穏やかにいられるんだろう。
ちょっと気が付きました。
話しかけても、すぐに話題が違うおしゃべりで人を遮るようなところがなく、せっかちで待ちきれないところがなく、なによりあの恐ろしい、イライラや、「帰る帰る病」がないのです。
そして今、母はあのリスペリドンという抗精神病薬も飲んでいないという状態なのです。
ツムラの抑肝散もやめています。
なのに、本当にはっきりしていました。
パニックになったりもしないし、そしてしっかりと歩きました。
お墓参りのときの岐阜の写真です。
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