今日もまた違う一日

今日もまた違う一日

おばあちゃんが認知症になった時のお話です。

耳は最後まで

 

義理の両親からお野菜が届きました。
里芋です!嬉しいです。
ありがとうございますの電話をかけました。

 

その時に、母の余命宣告のことをお話しました。

 

義母さんが、私が母のこの余命先刻のことを話した、初めての親戚でした。
なんだか他の親戚には話す気になれずに、いまだにそのままになっています。

 

義母さん、言葉を失ったのですが、ひとこと
「お母さん、今までよく頑張ったわよ」
と言ってくれました。

 

 

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おばあちゃんが認知症になったお話 → 目次

 

 

本当にその通りです。
「それでね、何か誰かと話したいなと思うときがあったら、電話かけてきてね」

 

今までまったく普通に過ごしていたのに、急激に涙が出てきました。
これまで、どちらかというと、変な話ですが、まったく泣けてこないことが悩みの一つでした。

 

父が亡くなった時、ずっと気を張っていた母が号泣したのが、友達からの「あなたの人生を大切にしてください」という言葉だったなあと思い出します。

 

義母さんも、遠縁ですが最近亡くなった親戚の方がいたそうです。

 

義母さんよりももっと近親者の人たちは軒並みご高齢、できる人たちだけでそっと葬儀を営んだという話を聞きました。
こんな時期だし、ということです。

 

うちの親戚も、みんな軒並み年を取ってしまっています。
とんちんかんな返事しか返ってこないことを考えると、かえって力を使いそうです。
でも 知らせないのもあれなので、何とかしなければいけないのですがとても気が重いです。

 

言うたびごとに、母の命のことに向き合わなくてはなりません。

 

* * *

 

さて届いていた書類を書き始めました。

 

・支払いの、口座振替
訪問看護申し込み書(医療保険用)
訪問看護サービス利用契約書
訪問看護計画書
・看取り看護についての同意書

 

母の名前と自分の名前を10回ほど書いて、ハンコを押しまくりました。
わたしは、どんなに反対勢力が騒いでも、河野太郎氏に賛成です。

 

ぜんぜん世の中からハンコがなくなっていないようですが、どうなってるのでしょうか。
はやく自筆でOKにして欲しいです。

 

名前は字画が多いので、書くのがめんどくさく、そういう意味で「名前がわりにハンコ」はぜんぜんありだと思いますが、「書く+ハンコ、どっちもやる」のは断固反対です!

 

手が疲れたところで、最後に例のエンゼルケア及び、看取りについての説明を見つけました。

 

口頭でのエンゼルケアについての説明にはめげましたけど、改めてきちんと見てみると、看取りに関しての詳細な情報が載っていて、とてもありがたく思いました。

 

・食べ物を口にしなくなる。
・手足が冷たくなる。
・耳は最後まで聞えている。

 

母の指先、冷たかったなあ。

 

発作が起きて父が亡くなる直前に、父の背中に手を当てたとき
「お前の手はあったかいのう」
と言ったのを思い出しました。

 

「耳の機能は最後まで残っている」
これはニュースでも見たことがあります。

 

嫌われていた人なんて、死ぬ前の薄れる意識の中で、いやなことばを聴いたりもするんだろうなあ…。

 

うちの子たちには、相当に厳しく言っておかなければなりません。

 

うちのおばあちゃんについては、嫌っていたというのとはまったく違っていて、あきれ果てていたというのが正しいですけど、それでも、子どもというのは思わぬことを言うことがあるので…。

 

そういう言葉が、自分に帰って来ることがないように、しっかり教えておかないと。

 

でもどう言えばいいんだろう?
聞こえてるからね!
というだけでは入っていかなさそうです。

 

オムそばちゃんとくるみくんに、LINEですごい長文のメールを送ってしまいました。
「耳は最後まで聞えています。発言には十分に気をつけてください。悲しい気持ちをあの世にまで持って行かないように」
という、まじめな感じで書いてみました。

 

 

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 小田原城のお堀端です。

 

 

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