やっとのことで
状態を抵抗しながら起こしますけど、すきあらば寝ようとします。
本当に具合が悪く、キツかったんだと思います。
さらに、この母が寝かされていた部屋ですが、すごい暑さでした。
汗が出てくるほどの猛烈さです。
サウナ並で、ここにずっといたらそれはぐったりしてしまうはずだとも思いました。
思い切って、母を無事な方の足側から、だっこです。
もっと骨折した足に負担がかからない、上手い方法はあったのかもしれませんが、仕方ありません。
こうしてみると、一応体は浮きましたし、そこまでものすごく重い感じはなかったです。
問題は降ろす時でした。
どさっとならないように静かに降ろすことができるほどの力もなく、母も機嫌が悪いので、半分ひっかかるように車椅子に落ちました。
まあまあ最低な状態です。
とても骨折した親にやるようなことではありません。
しかし、防護服をつけてあれこれあたっている看護士さんを呼ぶ気にはとてもなれませんでした…。
ここで、「介護的に正しい、負担のかからないからだの起こし方、なんとか法」を検索して練習する気にもなれませんでした。
やっと車椅子におろしたその体は、動く気がないのでものすごく重たくずっしりとしていていて、私にはとても荷が重い…重すぎるものでした。
こんなものを背負わされてはたまらないぞとちらっと思いました。
うちで介護するというのは、こういうことです。
わたしは結局は、母がちょうど具合が良い時に都合のいい時だけ相手をして、辛いところは全部施設に押し付けているんだそう思いました。
施設は、これが日常茶飯時のはずです。
母は、ものすごくご機嫌ななめな顔をしていますけど、痛みが増したとか、骨折した所がなお痛むとか、そういうことはなさそうです。
具合が悪いのも、部屋を出ると少し回復しました。
あの部屋の暑さはいったい、何だったのだろう…。
私でさえ、気分が悪くなってしまいそうでした。
病院もそんな空調まで面倒をみていられない状態なのでしょうか。
車椅子の扱いは、最初はとても不器用だったのですが、母が乗るようになってから(しかも今日さんざん扱ったので)だんだん、うまくなってきました。
いまや、ブレーキをするのも、足のせの台をも、畳むのもさっと出来るようになりました。
母は相変わらず、車に乗るのをいやがりましたが、あのベッドから降りるときほどのひどい状態ではありませんでした。
一応、踏める足はしっかりとふんばってくれましたし、乗ろうという気持ちを見せてくれました。
持ち上げようとしても持ち上がらないほどのあの、ずっしりとした肉の重みのようなものはありません。
寝たきりの人になると、あの重みがいつもなのだろう。
ぐったりと疲れていることには変わりないので、そのまま施設へと運びました。
何しろ、二人とも何も食べていません。
本当は、おなかもすいていることだろうし、うちに来てもらって、お味噌汁なりとも出してあげたかった…。
今度はまたいつ会えるかわからない…。
母が戻ると、皆が総出で出てきて、平謝りでした。
しかし、寮長さんはやはり、口ではもごもごと謝るのですけど、フロアの責任者のかただけを(そのかたが骨折のときはいなかったことを私は知っています)前に押し出すようにして話を聞くようにうながします。
もう割と長いので人間関係も見えてきてしまいます。
寮長さんは自分以外の人になるべく対応を押しつけようとします。
(それを「教育」と呼んでます)
ほかのかたは、本来なら寮長が対応すべきことなのではないか、と内心思っている様子がすけています。
第三者が日常的に入っていれば、ある程度緊張感も出ますけど、これが密室になってしまい、コロナの対応の消毒などの負担も増えてしまうと…。
(そもそもが、つめを切っていない、ほこりがついていると、割と不潔な感じであるのに…)
もやもやは尽きません。
うるさいと思われても頻繁に電話をかけてみることにしよう、と思いました。
施設にはごめんなさいです。
母のいる上の階では、また大音量で、昔風の音楽が流れていました。
母が「田舎臭い」と言ってすごく嫌う雰囲気です。
しかし自分も頭痛に耐えかね、家に戻って頭痛薬を飲みました。
一応、頻繁に熱もはかり、これは変な話ですけどコーヒーを嗅いでみたりしています。
変化はみられません。