馴染むために 3
認知症の承諾とは何だろう。
今のわたしにはとても重い問いかけです。
介護をするのが難しいといっても、やっぱり最終的には家族しかないなあと思う部分もあります。
なぜなら、その人の歴史を知っているのは家族だけだから…。
責任というのとは違う、もっと強い血の絆みたいなものを感じました。
ブログを作って良かったなと思います。
いいことも悪いことも、母の歴史をたくさん思い出しました。
~~ 馴染むために 3 ~~
認定調査までに起きた面白い(…と言っては何なのですが)騒ぎは二つ。
一つは、警察にお世話になったことです。
その頃、何度か施設からバスでうちにきてもらっていました。
バス停は施設のすぐ前にあり、乗るのはたやすいです。
それで、こちら側のバス停で私は待つことにしていました。
よい刺激になると思っていたのですが、その日はいくら待っても母が降りてきません。
おかしい。さすがに待ちすぎる。
母を逃してしまったかもしれない!
青くなって家とバス停の間を右往左往して探していると、電話が鳴りました。
うちの一番近くの交番です!
けっ、警察^^!!??
さーっと血の気が引いて、素っ頓狂な声が出ました。
「母ですか!?母が見つかったんですか!?」
警察の方は、面白そうな声で明るい調子でした。
母がみずから交番を訪れて、娘の家がどこかわからなくなった、と話したみたいなのです。
「携帯に娘さんの電話番号があったので、こちらからお電話しました。交番でお待ちしてますね」
バス停、家、交番、私が探していたあたりとすべて近所でした。
すっ飛んでいくと、母とおまわりさんが仲良く笑いながら談笑していました。
ニコニコしながら
「面白いお母さんですね!たくさんお話していたところです」
と言われます。
母も上機嫌です。
「ずっとね、お茶をいただいて楽しくお話していたところなの!面白かったわ~、ありがとうね!」
平謝りして母を連れて帰りましたが、帰り道で私までおかしくなって笑ってしまいました。
昭和のほのぼのエピソードみたいだ!
「おまわりさんとどんなお話したの?」
「娘がこっちに来ててね、一緒に食事をするんで待ち合わせをしたって話をしたよ。あんたの家ぐらい一人で行けるわ!と思って行ったんやけど…途中でどうもあやしくなってきてね。交番あるわ!と思って入ったの」
交番は距離は近いですがちょっと方向が違います。
ふと思い出しました。
そうだ、今の家に移る前、ごく近くですがこの交番のある道沿いに家を借りていました。
オムレットくんと結婚してくるみくんを産んで、母にもよく来てもらった道沿いです。
もしかすると、その道のことを母は覚えていたのかもしれないな。
帰り際、車に乗りながら、
「あんたわたしの子供やね?まごかな?」
と言います。
「お母さんかと思ってしまう。あんたがお母さんのよう」
相変わらず「帰る」の電話はありますが、ホームではさほど騒いでいないようです。
午前中の不安定さを薬で抑え、午後はなごやかに過ごせるというスタイルが定着しつつあります。
・「昨日もお医者さんが来たが、私の頭にも体にも何の問題もなくて安心した、これで地元に帰れる」
・朝電話、元気に明るく「明日か明後日に地元に帰ろうと思うので、あんたに電話しておかなければならないと思ってかけた」
一見、何も変わらないようではありますが、向精神薬半錠を定期的に朝に飲むようになってから、「今日帰る」→「明日か数日中に帰る」に変わってはいます。
危険な感じは、やはり一~二度ありました。
夕暮れ時になると、「夜が怖い」と言います。
→→ 馴染むために 4 に続く
馴染むために 2
今、オムそばちゃんが一時的におばあちゃんの電話を借りて使っています。
自分のマモリーノが壊れてしまったのです。
一度、母のお友達がかけてきて、「どなたですか」と言うのでびっくりしたと聞きました。
携帯を忘れてしまったので、自分の会社の席からオムそばちゃんにかけてみました。
知らない番号だから、どうするだろう。出るかな、出ないかな…。
カチャッ
電話を取った気配はありますが、じーっとだまっています。
これは母のお友達も不気味に感じただろうな~
おかしくなって
「わたしだよ」
といいましたが、(オレオレ詐欺みたいだ!!)と思いなおしました。
「ママだよ」
「どなたですか?」
用心深いな!!
「お母さんです」
「も~!知らない番号だからびっくりしちゃったよ!おかあさん電話忘れたでしょ!!」
いきなり怒涛のように話しはじめました。
用心するように!と言い聞かせていたのを一応、守っているみたいです。
~~ 馴染むために 2 ~~
所長さんが迎えてくれました。
「やっぱり施設を変えた方がいいんでしょうか…」
もうこれは仕方ないかなと思います。
所長さんは意に反して、今のままで行きましょうと言われました。
危険な時はあるけれど、最近は馴染む様子を見せているのだそうです。
お友達も出来て仲良くしているし、朝は食堂に降りて新聞なんて読んでいたりする。
危険になるのは一瞬で、それも頻度が落ちている。
このまま落ち着いていくのか、それともこのままなのか、もう少し様子を見ましょうと言われました。
所長さんは、まだ割と若い方です。
母の入居の時に、「上の人」から
「もし認知症だった場合、帰宅願望など本当に大丈夫なのか。何かあった時に面倒を見れるのか」
と聞かれたそうです。
それで、
「やりますと言ったのは自分なので、お母さんのことは自分が責任を持って面倒を見ます!」
と言いきって下さいました。
母も気持ちが通じるのかうまが合うのか、めちゃくちゃなついています。
ひとつ、思いついたことがあって病院に電話しました。
「夜寝る前」のリスペリドンを「朝」に切り替えてもらったのです。
「どうするのがホームにとって楽か?」
を考えた上ででした。
所長さんはいいと言っても、介護士さんがたが大変そうな気もします。
次はケアマネさんとの面談です。
母をほったらかしにして、自分の日記を見返していました。
こんなになる前の年に、子供たちを義母におまかせしてオムレットくんと二人ではじめての海外旅行をしたのでした。
これはぎりぎりのタイミングだったなと思います。
私は海外旅行をしたことがなかったので、本当に楽しかったです。
お母さんありがとう待っていてくれてという気分になりました。
母はケアマネさんとの顔合わせでは
「別に困っている事もないし、ここは一部屋だから掃除も楽。自分で出来る」
などと言ってます。
二人きりになると、
「ここの荷物をどうにかして送り返さなければいけないね。いつまでもここにはおられんもの」
です。
それ、いる時に言ってよね~!
同じ症状のご家族を持つ会社の方に、他人と家族にとでは態度がまるで違うから!と言われましたが、まさしくその通りです。
母は私を送る時には必ずホームの下まで出て、外に出て見送ります。
母が下に降りると職員さんがたに緊張が走るのが見えました。
ケアマネさんから、母の見た目と話しぶりからでは、周囲の大変さが理解されづらいタイプでしょうとお話があります。
このケアマネさん、本当に頼りになる方でした。
最初に地域包括センターにお話した時に、頼りになる方ですと言われたのは本当でした。
所長さんもそうですが、紹介して下さった方にも、ケアマネさんにも、本当に感謝しています。
混乱した毎日の中にも、一つ一つ、目標がありました。
・住所を確定させること
・ケアマネさんが決まること
・認定調査をすること
次の目標は「認定調査」でした。
ケアマネさんが、
「お母さんの状況を正しく理解してもらえるように、十分に準備が必要でしょう」
と言われます。
十分な準備…。
→→ 馴染むために 3 に続く
馴染むために 1
一時期、オムレットくんが明太子パスタにはまって、毎週明太子パスタという時期がありました。
コストコで明太子スティックを見つけてしまったのです。
これは本当に楽です。
バター醤油で味付けして、明太子スティックを交ぜるだけ!!
オムそばちゃんが爆発しました。
「わたし明太子あまり好きじゃないの!!!!たまには別のが食べたい!!!!」
オムレットくんもくるみくんも、この子には本当に弱くて、私がダメということでも許してしまいます。
あっという間に明太子パスタが食卓に出なくなりました。
「こんなに余った明太子スティックどうするの~~!!」
「明太子ポテトサラダとか、明太子トーストとか...」
そんなに大量消費できるわけでもなく、大量の明太子スティックはしばらく冷凍庫に鎮座することになりそうです。
~~ 馴染むために 1 ~~
忘れてしまうと思いつつも、かみ砕いて最初から説明しました。
「ご近所、親戚、お友達が、皆こちらに来て良かったと言っている」
「黒い三人の男がここに連れて来たのではなく、母と私とオムそばちゃんの三人で新幹線で来た」
それで、母に聞いてみました。
「もっと少人数で集団生活したり、多めの人で見てもらえるグループホームの方がいいのかな?」
母は集団生活、という言葉に敏感に反応しました。
「いや、ここは悪くない。ほかに行くぐらいならここがいい」
「そうだよね。トイレも共用になるし、団体行動も多くなる…お母さんには(まだ)酷なんじゃないかなと思ってるんだけど」
すると母は
「朝のあれはね、ちょっとお買い物に行こうとしただけなんよ!なのに、ここの人が大げさに騒ぐから参るわ」
話がすり替わりました(!?)
「夜が眠れないし、一人で部屋にいると色々考えてしまってよくない。外出すると気分が良くなるだけなんよ」
部屋はわりと整っていて洗濯もしている様子です。
バッグをのぞくと転出証明書が届いており、折り曲げられて奥底に突っ込まれていました。
「間違いだから返さなければならない」と言っていたようです。
これが引き金になったのかな。
いつか読んだ認知症のニュースで
「帰りたいのは以前住んでいて一番落ち着いていた過去」
だと書いてあったのを思い出します。
出来る限りがんばって、自宅のカーペットを敷き、家具を運び込んで似た感じに仕上げたつもりですが…。
精神科を再度受診です。
母は先生の質問に対して
「地元に帰りたい気持ちはないんですわ。この地域もホームも快適ですわ」
と言います。
相談の結果、リスペリドンを夜に定期的に処方することとなりました。
しかしこれも、一筋縄ではいきませんでした。
①夜に投薬した一晩目
朝の七時半頃、母から電話があります。
「帰るからダンボールを今すぐ準備して」
「は?」
「どうしても帰る、あそこが自分のうちやけえ」
「そうなっちゃうんだ。やっぱり」
昨夜はお薬を飲んで寝たのでは?と聞くと、
「帰るのはゆうべからずっとよ。眠れてない」
「昨日、先生に地元に帰りたい気持ちはないって言ってたよ?」
「あれはね、嘘を言ったの!!」
頓服服用です。
②夜に投薬した二晩目
朝八時に電話があります
「今すぐ帰る!お寺さんに十四回忌の話をしなければならない」
ホームから電話があります。
「荷物を持って、すごい勢いで下に降りてきて走り出て行こうとしてました。外には出られない、娘さんを呼ぶと話して一旦部屋に戻ってもらいました。これから頓服薬をお持ちするが、娘さんも来て対応して欲しい。だが話してもおそらく納得はされないと思います。リスペリドンも半錠なので量も少ない。鍵付きのホームの方に至急変えたほうがよいです」
会社に遅刻の電話をし、薬がきいたかと思われる九時頃に電話すると、
「何の用?今日は来るの?しばらく会わなかったような気がする」
全て忘れている様子です。
→→ 馴染むために 2 に続く
様子伺い 5
くるみくんの偏食は相当なものなのですが、よく考えたらオムレットくん当人もかなりの偏食です!
まず、大根が嫌いです。
食べられないわけじゃないのですが、家だと本当に手をつけません。
わたしはおでんの味のしみた大根や、豚バラ大根など好きでよく作るのですが
「大根!!!!!」
と言ってなかなか手をつけてくれません。
この前、大根に対する気持ちをしみじみと語っていました。
「大根だけはどうしても慣れないんだ…。一般的におでんの大根おいしいね!という話をしてて、外ではですよね~♪と言うんだけど、心では大根だし...と思ってしまうんだ…」
納豆と梅干も苦手です。
すっぱいもの全般が苦手です。ポン酢がダメで常にごまドレです。
果物はメロンとなしだけ。貴族か!!
これとくるみくんのにんじん嫌いやなす嫌いなどをあわせると…。
何も作れません!
そんなの配慮しないまま、嫌いでも作ってしまっています。
~~ 様子伺い 5 ~~
とにかく、このままではいられない。
やっと住所変更をしたので、地域包括センターに連絡をすることができました。
とりあえず、「住所を確定」する必要があったのです。
おそらく、母は最終的には認知症専門施設やグループホーム、(入れないといわれていますが)「特養」にお世話になるしかないように思います。
そのためには、「介護度」を認定してもらう必要があります。
「認定調査」するためには、住所を確定させなければならない。
こんな状態が続けば追い出されるのではないか…と不安になっていましたが、所長さんの尽力と予想外に頓服のお薬がきいたことで、やっと住所変更を済ませることが出来ました。
ケアマネさんを紹介していただき、面談の予定を立てました。
この頃のメモです。
・ホームのリズム体操に参加した様子。「あんな田舎臭い集会にはもう行かない」
・わたしの家で家事を少ししてもらう。「懐かしい。久しぶりに来た」洗濯物○、洗い物×
・「どうしても帰らないといけないので帰ろうと思ったが、ここは夜が閉めてしまうから出れないし、あんた今すぐに来てくれん?」
・「いつも朝に具合が悪くなるね」「違う、夜。夜が悪い」
・荷物を抱え、帰る!と言って降りてきたが、入居者さんと散歩に出て気が紛れた様子。
・「医者の言うことを全部聞かなければいけないわけじゃない」
・「帰りたい」がまったくない日が少しずつ増えている。
・ホームの人に盗られたと主張していた指輪の袋がベッドの上にあった。(通帳→宝石)
一見、問題なく見えるひとりの時間が危険です。
かまいすぎても、放置しても気に入らないと→「帰る」となります。
帰ることを考える→私に会って帰る話をするが、話しているうちに気がまぎれ、私がここにいてほしいと思っている感情を汲んで落ち着く
…という流れのようです。
一日の間にはっきりしている時と、記憶が曖昧になって朦朧としている時とふらふら状態が変化して、本人も不安になっている様子があります。
わかる⇔わからない。
やって欲しい⇔自分でやりたい。
久しぶりの騒ぎでした。
朝の七時にホームから電話がありました。
「地元に帰ると言って荷物を持ってバス停にまで行ってしまいました~!!」
うわぁやばい。
飛び起きて着替えていると、また電話があります。
「とりあえず説得しました。玄関で座っていると言うので、朝ごはんを食べる時に朝の薬と一緒に頓服のお薬を出しました」
母に電話をすると、うらめしそうです。
「玄関で止められたの!娘さんの同意がなければどうしてもだめと言うんよ。仕方なく戻ったわ。こういうホームは出るのが大変だから、こっそり出ればいいと聞いていたのに、堂々と帰るなんて玄関で言ってしもうて、しまった事をした!本当にいつも、正直すぎるからいけないと言われていたんよね」
午後に訪問しました
「どうして帰れん?あそこが私のうちよ?」
「もう、引越しちゃったからね、慣れて欲しいんだけど」
「私はほんとバカ正直!地元に帰りますと言うなんて、しまった事をした。こっそり出りゃ良かったんよね」
悲しくて仕方がありませんでした。
慣れてほしいという気持ちと、無理もないと思う気持ちが半々です。
どうしても、だめなのかなぁ…。
→→ 馴染むために 1 に続く
様子伺い 4
オムレットくん、コストコの分厚い豚肉を見て串カツが食べたくなったようでした。
串を準備して濡らしています。
大変そうだけど大丈夫なのかな~!?
うちの油なべはそんな深鍋ではないんだけど…。
こんなとき、私は料理研究家のアシスタントみたいに横で黙って待機しています。
小麦粉、パン粉まで用意した時に、オムレットくんもさすがに大変そうだと気が付いたみたいでした。
「この付け合せのつもりのなすとあわせて味噌いためにしちゃっていいかな?」
どーぞどーぞ!
私もその方がいいと思ってました^^
しかし私は、こういう方向転換がとても苦手です!
ぱっと料理を思いつかないのです。
~~ 様子伺い 4 ~~
こうした押し問答が続きましたが、母も次第になじんでくる気配も見せています。
何よりも所長さんのご尽力が本当に大きかったです。
この所長さんは母だけではなくて、すべての入居者さんに慕われていました。
うちだけ贔屓というわけではなくて、全員に平等に丁寧で親切でした。
自分からいつも積極的に皆さんに話しかけ、皆さんの状況を把握しておられました。
介護士さんたちにすべて任せようとせず、大部分を自分でされていました。
職員さんがたも皆感じがよく、生き生きとしています。
MRIを取りましたが、そこまでの脳の萎縮はやはり見られないようです。
地元で見ていただいたレントゲンの結果と同じでした。
やはり、ちょっとうつっぽくなっていたのかなあ...。
母にとっては、抵抗はありましたが
「薬の管理」「食事の用意」「病院の付き添い」
この三つの心配がなくなった事が、前よりは心の負担を軽くしているようではあります。
予想外に頓服のお薬が頼りになりました。
調子がいいときは、皆さんが母に気を使うことに腹を立てています。
「風邪気味だから娘が病院に連れて行くと言っているのに、どうするのかああするのか、何時に帰るのか本当にうるさい!ここにちゃんと帰って来るって言ってるだろバカ!という感じやわ。あんな風にされると、余計帰りたくなくなる」
「それは、大騒ぎを起こしたから仕方ないんじゃないかな…」
「だって環境が激変したんだから、そのくらい当たり前よ!」
ううむ、論破された。
調子が悪いときは朝の6時から電話です
「指輪を盗まれた!眠っている間に指から抜かれたのでもうびっくり。何もかも盗られた。もうこんな所にいられないから帰る!もう、もう勘弁して~!」
興奮はしていますが、イライラや怒りというよりは、不安とドキドキという感じです。
「うん、うん、わかった」
と対応していると、
「あんたちゃんと話を聞いてる!?」
と怒られて電話を切られました。
母はどうも、朝に不安が強くなるようです。
以前、うちから飛び出した時も夜の3時頃から荷造りをし、朝の5時頃に出て行きました。
夜~早朝が危険な時間帯です。
これは人事のように言いますが、見るほうが本当に大変です。
それと、性格的に認知症対応としてよく言われるその場しのぎのごまかしがきかないのです。
嘘にはめちゃくちゃ敏感です。
せっかちで待てないので、その場で早急な対応を求められます。
全てがうっすらとした記憶はあるのですが、もやにかかったようにはっきりとした確信が持てなく、確認しつつ手探りで進む感じがあります。
付き添いなしでの病院はもう全く無理だなと思いました。
大きめのテレビを購入しに行くと言うと、一瞬顔をゆがめて
「ああ、そうなるのか」
とつぶやきました。
すぐにいやなんでもないよと紛らわせましたが、こちらで暮らす環境が着々と整っていて、戻れない事実を一瞬だけでも理解したようで、悲しそうでした。
→→ 様子伺い 5 に続く
様子伺い 3
坂を昇っていると、オムそばちゃんが弱音を吐きます。
「ママ横っぱらがいたい」
足が速すぎたかな?
歩調を緩めながら、思い出話をしました。
「おばあちゃんはすごかった。一切待たない。実家の坂覚えてるでしょ。もっと急だよね。これをもっとすごい速度でガンガン歩いてた。本当に元気な人だった」
「ママ何歳のとき?」
「ちょうどあなたぐらいの時だよ。それでクセがついちゃって、お母さんいつも歩くのが速すぎるって言われた。最近はあなたやおばあちゃんに合わせて歩いてて、ふとっちゃったな。ところで横っ腹はどうですか」
「治るかそんなもん。そんな話で 余計痛くなったわ」
大笑いしました。
~~ 様子伺い 3 ~~
母は帰り際に
「テレビが小さいから何とかしてね。あんまり安っぽいものだとみじめだから邪魔でも大きなものがいい」
と言います。
もー!いたくないと言う割に要求多い!
夜の七時頃に興奮した様子の電話があります。
「男三人にここに連れて来られたでしょ?あれはいったい何?正直に言って。怒らないから」
「いや…う~ん」
「娘さんが病気なので早く来て下さいって言われて、注射をされてここに来たんだけど」
「………」
「正直にはっきり、何があったのか話して?それだけ!」
唐突に電話は切れました。
私はストレスからか電話アレルギー気味になってしまいました。
電話が鳴ると過呼吸になり心拍数が上がります。
頻繁にじんましんが出るようになりました。
オムレットくんが肩を揉んでくれました。
不穏な気配であったことをホームに電話します。
すると、介護士さんの話です。
「昨夜はまったく寝ていないと思いますよ。部屋の入り口に設置しているアラームも頻繁に鳴っていました。それでこちらがドアから気配を伺うと、向こうもこちらの気配を伺っているみたいで、ドアごしにお互いにじーっとして待ってるんです」
ん?
母は、『泥棒がいてドアの向こうから誰か伺っている』と言っていたぞ。
宝石の真偽はともかく、母のことでいつも思うのは
「案外本当のことを言っている」
ことでした。
また年寄りが何かボケたことを言ってる~!
では終わらないのです。
こういう所が、ああ適当に相手しててはいけないな。ちゃんと耳を傾けなくては、と思うところです。
午前中に、もう一度ホームから連絡がありました。
こっちも身構えてしまいます。
「ごはんはいらない!外で食べたいから自由に外出させて欲しいの。こんなに自由がないものとは思わなかったわ。あんまりひどい!大丈夫、ホームの人の顔をつぶすような事はしない。ちゃんと戻るから一人で外出したい」
…と言っていたようです。
一応、筋は通っているようです。
迷いましたが土・日と二日間、それほどおかしな言動がなかったので、ここは思い切って一人で外出させてやって下さい。電話はしますといいました。
内心はドッキドキです。
こんな状態で野に放つようなことをするなんて…本当に大丈夫だろうか!?
母はどういう行動に出るんだろう?
昼に電話すると、横浜の高島屋にいて、自分のベッドのシーツを選んでいるといいます。
横浜まで電車で行ったんだ~!!
「すごいねお母さん!」
「こんくらい出来るわね!まだまだボケてないで!」
「元気でそんな風に横浜まで出かけて気晴らしが出来て本当に良かったね。気をつけて。帰りのバスの停留所の名前がわからなくなったら電話してね」
午後の三時ごろに、戻ったようでした。
わたしが訪れると、楽しかったとか嬉しいと言うより、とても疲れた様子でした。
この日は、母からももう電話はなく、静かに一日過ごせました。
→→ 様子伺い 4 に続く
様子伺い 2
朝、オムレットくんが
「オレンジジュースを買いに行く」
と言っていなくなりました。
そして帰ってきてからキッチンから
ガリガリガリ
とおそろしい音がしてきました!
みんなでかけつけると、バナナ、オレンジ、牛乳でスムージーを作っていました。
(バナナを冷凍させておいたのですごい音がしたようです)
テレビでやってたのでしたくなったらしいです。
おいしくいただきました。
【布用転写シール】扶桑”irod” キャンプ ホワイト・ブルー 【アイロン不要】【革・化繊OK】
~~ 様子伺い 2 ~~
施設では、所長さんがにこやかに迎えてくれました。
とても感じがよくて愛想もよく「さあさあ、お待ちしてましたよ」とうながしてくれるので、そこからはスムーズでした。
母は、この所長さんがお気に入りのようでした。
くるっと私の方を向いて
「Tさん」
と言います。
もうお亡くなりになっている、家族同然に仲良くしていた父のお友だちの名前でした
「Tさんは前からの知り合いなんよ!ここにTさんがいてくれて本当に助かった」
私もぼんやり覚えていますが、ひょうきんで優しい感じの方でした。
本当に同一人物と思っているわけではないようです。
たまに「似てる。雰囲気がすごく似てる」と言います。
母の様子にあまり変化はありません。
しかし、あのものすごい、びっくりするほどの行動力は影を潜めているような気がします。
走って行ってしまったり、もみあったり、カートを持って帰る気満々の姿を見せたり、帰る!帰る!と叫んだりなどです。
夜に電話がかかってきました。
ちょっと声をひそめています。
「あのね、あんただから話すけれど!誰かに、施設には泥棒がいるから気をつけろと言われたからね。本当にそうや!と思ってたんよね」
「あまり気にしない方がいいよ」
認知症…。
一般的に、普通に生活していくうえで漠然と当たり前だと思っている行動…。
こう取るだろうと予想する行動をはずれたことを言ったり、したりする。
脳の機能が衰えてしまっているなら、それは狂気とは言いたくないです。
ただ、周囲が大変なだけです。
朝6時に電話がありました。
「ここはどこ?狭い。荷造りしたから地元に帰ります」
軽度アルツハイマー型認知症と診断されたこと、先生が経過観察と言ったことを、怒らずに丁寧に淡々と説明します。
「次はMRIを予約してるんだよ」
「MRI。それはそうやったね」
所々記憶に残っているみたいです。
30分ほどして、また母から電話が入ります。
も~~~!また!?付き合いきれない!!
今度は長々と離していました。
「あんねあんたに話しておかんといかんと思ったんやけどね、施設に泥棒がいて、不審者が入ったの!宝石を盗られたんよ。ベッドの上に置いていて、戻ったらないんよ!!もうびっくりして息が止まりそう。そして、扉の向こうで気配がするんよ。ずっと向こうで気配を伺っている!」
こ、これは…
大丈夫なんだろうか。
どうしよう。頓服をお願いすべきなのか。
向こうの判断におまかせした方がいいのか。
昼に、ホームから電話がありました。
「外出したいと仰ってるので、こちらの者と外出しますね」
夕方に訪れると、とてもご機嫌です。
施設によると、お昼に半錠、頓服を飲んだみたいです。でもそれほど変わらなかったとか。
「買い物に行ったの?」
「とても楽しかったんよ!」
とニコニコしています。
ヤカン、薬、化粧品などを自分で選んで、楽しかったことを離してくれました。
そこにオムそばちゃんが入ってきました
「おばあちゃんったら~!鍵かけてないじゃなーい!侵入者が入ったらどうするの!」
このバカ娘~~~~!!!!!
一気に表情が暗くなっています。
せっかく、いい気分でいたというのに…。
子供のこととはいえ、ガックリです。
→→ 様子伺い 3 に続く