元気になってきた
地元では、お通夜には出たけど葬儀は遠慮した代わりに、父のお墓参りをしました。
そして、タクシーで行ってもらっているうちに、どしゃぶりの雨になりました。
すごいです。完全にゲリラ豪雨です。やむ気配もありません。
タクシーの運転手さんも不安そうです。
「これ、どうしますか?」
「ええ、ちょっと遠方からきているので、いきます」
けっこうな雨の中を、うわあどうしようと思ったが、これはこれで、、お墓に水をかける手間がいっさいいらなかった!!
桶を運ばなくてもいいし、みがくだけでした。
フライパン 「メガフッカ IH対応Sディープパン 22cm」
コロナワクチン。
オムレットくんは、二回目が終わりました。
そしてちょうど一週間ぐらい前のことですが、こんなこと言ってきました。
「聞いて聞いて、ぼくの打ったワクチンのロットが、当たったんだよぉ~!」
「えっ、それってまさか…」
「そうだよ~!異物混入のモデルナのロットが公開されてて、ばっちり当たってたよ~!」
「……」
宝くじじゃないんだから…。
能天気だな~、もう。
とりあえず、何の変化もなさそうです。
オムレットくんはとにかく、インフルエンザも風邪もほぼかかったことがないという、恐ろしく強い人なのですが、二回目を打った後には、37度超の熱とだるさはやっぱり出ました。
私の方はファイザーです。
さてどうなることやら…。
* * *
さて、有給が多くなり、本当に退職が近づくにつれて、わたしは異常に元気になってきました。
あれほどグッタリとしていた毎朝、異常なほどスッキリと目覚めることができてます。
お弁当も、完全に作ることができるようになりました。
これまで、土日はオムレットくんが全部担当してくれていました。
買い物も、お料理も…。
わたしは、たまった洗濯物やら、おそうじやらですが、それすらもままならずにグッタリしていることが多かったです。
それも、土日もキッチリごはんを作ることが出来るようになりました。
退職すると、収入が減るおそれから、もやし料理が多くなりました。
冷蔵庫の中身を把握して、そこから検索して献立を組み立てることもできるようになりました。
今までのは一体、何だったんだ!?というような元気さです。
すると…。
オムレットくんも、疲れてとても具合が悪かったのですが、それもなんだか、少しずつ良くなってきたのです!
やっぱり、土日のお料理は負担だったんじゃないかなあ。
コロナの影響だってあります。
今度はオムレットくんがゴロゴロしたり、溜まっていたらしき仕事を家で片づけたりするようになりました。
思い切って辞めることを決めてよかった!
* * *
さて、母です。
おばの葬儀が終わってから、もう一度だけ、会うことができました。
というのも、母がずいぶん、食べる量が少なくなってきたようなのです。
このままでは、体力もあまり持たないかもしれないとのこと。
というわけで、母に会いにいきました。
母の妹であるおばちゃん、姉である母よりも先に逝ってしまったなあ。
母もたぶん、もうそれほど長くはないと思います。
そういう雰囲気を施設の人たちが醸し出しています。
エンジェルケアー(亡くなったときのお化粧)をどうしますか、と聞かれました。
そして、一度だけ母に会わせてもらえることになりました。
母はやっぱり、最近みるみる食欲が減退しているようなのです。
いまは、経口の栄養食を使っているのですが、それもほとんど口にしないと言います。
栄養を取らなければ、体は衰え、弱っていくばかりなのだと言います。
それに、少し下血もあったようです。
やはり、母の中の癌は、どんなに母が頑張っていると言っても、母のかわりに栄養を吸い取っているのではないか、と思います。
それでも、また母に会える!
おばが亡くなった後に、そのことを伝えるか、伝えないか…。
でも、おじちゃんに会えただとか、母の妹夫婦はとても元気だったとか、伝えたいな...。
いつ撮ったのかもわかりませんが、不思議な空でした。
少し若返った気持ち
帰りぎわに、「お嫁さん側」のおばたちが私を挟んで、ちやほやしてくれました。
本家のこわいあねさまの娘なので、昔からわりとちやほやされていました。みな、優しかったです。
今回は懐かしさもあり、特に親しみがこもっていました。
母の様子もそうですが、母の実の弟さんたちの介護で大変なおばたちです。
もう、本当に介護が大変なんだという気持ちはよくわかる!
という共同体的ななにかで盛り上がりました。
そのとき、
「こんな遠くから来てしまって、本当に良かったのか...。(本家側のおばに)マスクは二枚重ねて来てね!と言われちゃいました」
という話をしたときに、このお嫁さん側であるおばたちが低い声で
「まあなんてこと」
「息出来ないし」
「苦しくて酸欠になるし」
「二重マスクなんてウィルスには意味ないし」
と、一斉にディスりはじめたので笑ってしまいました。
(ひとりは看護士さんです)
そのとき、決して、その二重マスクが嫌だったと訴えたくて言ったわけではないのですが、やっぱり長年の積もり積もった色々があったのかもしれないなあと思いました。
自慢話も、かなり爆発していたので、ちょっとウンザリだったのかもしれません。
昔、母が、自慢話するな!とよく怒っていたのも、おばたちの顔色を見て、自分が言わなければ!と思っていたのかもしれません。
色々な事情があり、それぞれの人の思いがあったのだろうと、親戚ひとりひとり、それぞれの歴史を感じました。
母が話してくれたあれこれに、それぞれ根拠があったのも感じました。
嫁系のおばたちも、たぶん、偉そうな女王様である母のことを腹立たしく感じならも、どこかで少しだけ認めていてくれている部分もあったような気がします。
長男のお嫁さんだったおばなんて、祖母の介護のときにどれだけ大変だったでしょう、と今なら思います。
しかも他人なのに。
穏やかではありますが、かなり老化が進んでいそうな母の弟さん。
その面倒を見ているお嫁さんのおばちゃんが、
「も~私は、家では鬼になってますから」
といって笑う、そのかたにも、
「どうか、どうか、ご自分を一番大切に」
そのことしか言えませんでした。
* * *
別れてからチェックインして、少しだけ懐かしい郷里の街を歩きました。
少し、気持ちが子供になっています。
ちょっと若返った気分で歩きました。
ホテルは、オムレットくんがかなり便のよい、温泉つきのをとっていてくれました。
(じゃらんです)
帰ったらオムレットくんに
「満喫してるじゃないか~!!」
「自分も旅行に行きたいいいいい!!」
なんて言われましたが、残念ながら、このあとすぐに、オリンピックが始まりました。
結果はごらんのとおりです。
コロナのものすごい蔓延です。
オムレットくん、おとなしくなってしまいました。
どうやら、あれほど私の背中を押した理由は…。
自分がどこか旅行に行きたかったかららしいのです!!
残念ながら、これはまずは、ワクチンです。
私にもまだ、退職前のワァワァした職場での騒ぎが残っていました。
田舎の親戚一同の集会
久しぶりの親戚一同。
会食は和やかなものでした。
昔から、親戚の会食の場というのは若干苦手でした。
ですが、今回はみんな、会えて良かった、帰ってきてくれて良かった、良かったと言ってくれました。
心がこもっていました。
何だか、みなさん、
「これが最後なのではないか」
という一期一会の思いが強くなっているようです。
田舎の親戚一同の集会というのは、なかなかエグいものです。
エグさはエグさで、やはり相変わらず存在していました。
次第に、昔はまったく見えなかった違和感のようなものが、変化して、表面化している所があります。
「本家」のおば夫婦の自慢話におなかいっぱいになってる「お嫁さん」のおばたちの表情…。
今となっては、みなお年寄りなので、笑って穏やかに聞けますけど、そういえば母がいつも怒ってたなあ。
その自慢屋!いらんこと言い!どうしてそう無神経なの!
はいはい、はいはい、ねえちゃんがまた怒った!
明るくて優しい、いいおばなので、昔は
「どうしてそんなに怒るのかな?」
とよくわかりませんでした。
その母も、超~うるさい、「本家の長女の怖いあねさま」です。
母のテンションが上がると、ここは親戚一同の全員が全員で
「はいはい、おねえさんには何もさからいません!はいはい、ぜんぶおねえさんが正しいです!」
というのがデフォルトでした。
母は、女王様でした。
いかにも田舎な世話好きがいいほうに働くこともあるんです。
例えば残された立場のおじを、その明るさで精神的に力づけるだとかです。
* * *
おばちゃんが、亡くなったおばにいちばん最期に会った時のことを話してくれました。
ガラス越しに会って、わかっているのだかわからないまでも、あれこれと会話をしてみたあと、最後にさよならをするとき、
「じゃあ、これから帰るの」
と言われたといいます。
その言葉に、はっと胸をつかれたとのことです。
うちに帰る、というのは、施設に入っていたおばは、自分も含めて、と言いたかったようでした。
これから自分も含めてみんなで、懐かしい我が家に帰る、帰ろう、と言ったようなのです。
ああ、そんな言葉を聞いてしまった時の気持ち。
わかる、わかりすぎる…!
話の途中で、末のおばは、
「おじちゃんが、優しくないから。あたりがキツかったから。おばちゃんはつらかっただろう…」
と言います。
これは、深く考えてしまいました。
家で、優しく、おだやかに過ごさせてあげたかったおばちゃんの姉妹を思う気持ちは、とてもよくわかります。
ひとことだけ恨み言も言いたい、という気持ちもわかります。
しかし、おじちゃんは毎日、介護の生活をしていた。
生活、というひとことのその裏に、トイレひとつにしても、起こすのが大変で、お風呂もグッタリとなった人の体を扱うのが大変で、怒鳴ったり、放置してしまったりすることがあったこと…。
解放されたいと思ったことがあったということを、わたしはよくよく知っています。
どちらも、本当ですが、両立はできない。
葛藤です。
(そう、葛藤なんだから、どちらの気持ちもあるんだから、そんなことあえて口にするべきではないのよっ!)
という、母の怒る声が聞こえてきそうです。
しばらく母に会えていないことと、親戚一同たちに会ったことで、かつての母がわたしの中でよみがえってくるようでした。
おばの発言の是非はともかく(言っていることが間違っていないのも事実です)、そのことが、なんだかとても私には、うれしかったです。
思ったより大歓迎
余裕がなくて疲れもあり、気分が悪くて酔いそうです。
名古屋で停車したあたりで、お香典の名前を書こうとしてみましたが、字が揺れるのであきらめました。
しかし、一文字は書いてしまったので、そこだけまるでアル中の字のようです。
母の分も用意しました。
うーん。母におばのことをどう伝えればいいのだろう。
亡くなったおばは、わたしにとっては、ドラマ「逃げ恥」のゆりちゃんです。
働いてもいないですし、結婚していましたし、でも子供がいませんでした。
ふらっと遊びに行っては、犬と遊んで、さんざん甘やかしてもらって帰っていたなあ。
郷里の駅に着いたとき、母を電車に乗せるのが大変だった時のことを突然、思い出しました。
これがフラッシュバックというものなのでしょうか。
そんなご大層な感じではなかったですが、一瞬、吐き気がして気分が悪くなりました。
母の鬼のような形相と、落としたねこのぬいぐるみのことなど、一気に走馬灯のようにシーンが流れました。
* * *
母の末の妹であるおばは、既についているはずなので、到着の連絡をします。
「二枚マスクを重ねて来てね!!」
「は、はいっ」
正直、不安です。
あんな「まん防」になっちゃってる関東地方から来ちゃって…。
どんな風に迎えられるだろうか。
小さくなっていなければ。
直接、通夜会場へ向かいます。
みな、私を見るなり立ち上がって、大歓迎してくれました…。
少し涙が出る思いです。
みなさん、それなりに年は重ねていますが、割としっかりしています。
どちらかというと、母の兄弟姉妹の連れ合いの人たちの方が、ずっとしっかりしていました。
肉親の血がつながっている人たちを、連れ合いの人たちがみな、介護している様子なのが複雑です。
オムレットくん、ごめん。
私も先にボケるかもしれないよ。
けいちゃんおじちゃんに会うのも久しぶりです。
「よう来てくれた、来てくれた」
と何度も言っていて、やっぱり来て良かったんだと思いました。
おばの顔のきれいなこと!
またどうして、母にしばらくぶりに会った時も、シワがないなと思いましたが、おばちゃんの顔も、すっかりなめらかです。
ああ、最期に会えて本当に良かった。
私は、オムレットくんが気持ちをくんでゴリ押ししてくれたのもあって、(その言い方はどうなのか)、こうして無理に来てしまいましたけど、たくさんの人が、死に目に会えなかったり、お葬式にも出られなかったりしているんだろうな…。
コロナ憎しです。
と同時に、母が亡くなったら私はいったいどうしたらいいんだろう、という、すうっと背中が冷えるような不安にも襲われました。
何だか、全然頭が働かなくてどうしたらいいかわかりません。
仕事の大騒ぎも、辞めることも、おばの訃報も、コロナなのにこんな遠くに来てしまったことも、何だかめちゃくちゃにからみあっていて、これ以上何を考えても無理な気がしました。
おじちゃんのお通夜の挨拶がまた、つらいものでした。
泣いているおじの向こう、背中の影に、また言葉の端々に、もうオムツ生活だったという、おばの介護に疲れ切ってしまった姿がにじんでいました。
おじもまた、施設に入れたこと、コロナで面会もままならなかったことに対して、ひどく罪悪感に苛まれている様子でした。
おじは、おばよりも年上だというのに…。
ちらほら聞いていた、全部はとても言えない闇な部分もありそうでした。
記憶をやっと呼び起こして、苦しみのはじまりがそこだった、という所から語って、途中からは言葉が詰まってしまっていました。
そこからは悪夢で思い出したくない記憶だという所が、尻すぼみに終わりつつも
「わしはひとり、ひとり、残されて…」
という、涙を抑えるために力のこもった台詞が涙を誘っていました。
これを聞くために帰って来たんだなと思いました。
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背中を押される
オムレットくん、少し遅めに帰ってきて、まったくメールは見ていなかった、と言いました。
「まあ、仕方ないよ」
「えっ、行かないの?迷ってるの?明日は、リモートだから家にいるよ。子どもたちも見れるよ」
「いやいや、もうお通夜もきょうだよ。無理だよやっぱり」
日付が変わっていたのです。
寝る部屋に入って、ひとりで悶々としていました。
迷って迷って迷っていると、オムレットくんが顔を出しました。
「まだ迷ってるの?」
何と、この遅いのに明日の新幹線の時間調べから、宿の手配まで調べてくれていました。
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そしてこんなことを言います。
「おーい、今しかないぞ~!今日はまだまん防(蔓延防止)。明日になったら緊急事態宣言になってる。今日しかないよ!」
オムレットくんは、どちらかというと保守的な考え方の人です。
帰省なんて無理無理!仕方ないね、と言われるかと思っていたのですが…。
「行くか、行かないかなんでしょ?自分があの家の娘同然だって思うなら行けばいい、それだけだよ」
何だかかっこいいことを言っているようなのですが、オムレットくん、この時、迷っているわたしの辛気臭い顔にイラついたらしくて、すごく怖い顔で怒ったように言ってました。
おじおばは高齢者なので皆ワクチンは打っており、オムレットくんとわたしは二回目待ちの状態です。
新幹線に乗れさえすれば、あとは寝ることができるので、私は夜おそくまでかかって、トランクに適当に荷物を詰めました。
「この時期だから、ホテルもあいてるんだよ!」
オムレットくん、 何やら勝手に、何から何まで決めてしまいました。
新幹線の切符はさすがに取れません。
でも、指定席も普通にあいているようです。
そりゃそうか。
たぶん、この時に有給を取っていなかったら、あの大騒ぎのあとで、いきなり朝に電話して、
「おばの訃報で…」
といっても、ゴリラさんも白くまさんも、頭から信じてくれなかったような気がします。
辞めることや、ちょうど有給だったことなどは、オムレットくんには言っていないままです。
こんな夜中に、説明もできません。
もう、本当にタイミングでした。
オムレットくんが、背中を押してくれました。
* * *
とるものもとりあえず、翌朝に新幹線に乗り込みました。
横浜線、すごい人です!!
新横浜の降車人数もものすごいです。
あれ、いま蔓延防止なんじゃなかったっけ?
こんなにぎゅうづめの混雑、いいんだっけ?
そんな風に思ったのは私だけではなかったらしく、すれ違う人ごみのなかで
「新横浜ってこんなに人多いんだ~?」
と話している人もいました。
正直、こんなあまりの人の多さをしばらく見たことがなかったので、腰が引けてしまいました。
電車に乗る、ということすら久しぶりです。
平日のラッシュを少しずれた時間でさえ、これだけ混むようなら、感染対策なんて何のこっちゃの話です。
メールで聞いてみたら、オムレットくんは、毎日こんな感じだと言っていました。
「もう仕方ないんだよ!だってコロナだからってみんな仕事しないわけにはいかないでしょ!」
しかしほとんどが乗り換えに吸い込まれていきました。
新幹線は、すかすかです。
そりゃそうか。
新幹線口に、危険物探知のわんちゃんがいます。
ものものしさにどきっとします。
やっぱり、東京オリンピックの前だからなのだろうか。
警備員の人の、恐い顔とは裏腹に、わんちゃんはすごくあどけない顔をしています。
おすわりをして、しっぽをふっていました。
とてもお利巧です。
そして、可愛いです。
お店に入って飲み物など買いながら見ていると、何分かおきにおとなしくあたりを周回していました。
これも、遠い昔に撮ったねこカフェのねこさんです。
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行くか、行かないか
三番目の妹のおばちゃんが言います。
「いま、この時期は関東地方から九州へはやめた方がいいから。こちらも年寄りばかりなのでね。一応、葬儀の日程だけは伝えるけど、あとは判断してくださいね」
「いとこたちは?」
「みんな、見合わせです。だから気にしなくていいのよ」
私のいとこたちは、ほとんどが関東地方に住んでいます。
九州なのに、郷里に残っているのはごくわずかです。
地方から出て行って就職してしまい、戻ってこないの典型です。
周辺に住んでいるいとこたちも、来ないかもしれないとのことでした。
おばちゃんはそんな風に言って電話を切り、お通夜とお葬式の細かい日時と場所を送ってきてくれました。
とても詳細な内容です。
なので、また迷います。
これは来るなということではなく、行ってもいいってことなのかな…?
お通夜が翌日。
お葬式はその翌々日です。
どうしよう。
あんなに可愛がってもらったおばなのに。
最期に顔も見られず、お葬式にも行けないなんて…。
行きたいかと言われたら、行きたいです。
けいちゃんおじちゃんの様子も気になります。
* * *
7月中旬のことでした。
有給をはさんでいるとはいえ、ゴリラさんや白くまさんが滅茶苦茶に荒ぶっている最中です。
少しまとまった有給に入って、ほっとした所でした。
もうグッタリでしたが、辞めると決めたことで、気持ちは楽になっていました。
まだオリンピックもはじまっていません。
こんなに感染爆発もしていませんでした。
行けなくはないです。
というか、今しかないような気がします。
おじちゃんに電話をしてみました。
ガランとしたホールのような所にいるようで、声が反響しています。
お通夜に使うホールの場所なのでしょうか。
父が亡くなったときも、お通夜の前日に設営をしてくれて、そこに母と二人で座っていました。
「おお、おまえか」
というその声が、ボワーンと響きます。
正直、恐ろしいような孤独を感じました。
そして、おじちゃんの様子は何となく…。
とてもとても、精神的に参っているように思えました。
来なくていい、と言いませんでした。
理解はしているから、という言い方です。
これは、来れたらその方がうれしいのだが、という風に聞こえます。
周囲に誰もいなさそうなホールみたいな所に響く、涙まじりの声に、心が揺れました。
ど、どうしよう…。
オムレットくんにメールしてみましたが、仕事中で繋がりません。
これはやっぱり無理ってことなのかな。
何となく喪服を出して、着てみようとするのですが、これがまた、ぎっちぎちです!
ふとった…。
オムそばちゃんに背中のチャックをあげてもらって、やっと入りました。
うーん。
ピッチピチですが、まあ、いけるといえばいけます。
しかし、あまりにもピッチピチだったので、現金な話なのですが、それだけでまたテンションが下がりました。
とても、新しいのを買っている暇はなさそうです。
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おばの訃報
会えない間、母の夢を見たりしていました。
夢の中で何度も介護施設の本社に電話してました。
お母さん用のパンは?
コーヒーは具合が悪くなっちゃうかも。
スープ皿に入ったスープはどう?
ちょっとしたお肉は?
朝起きると、そんな風に考えていたのがさびしくて、やっぱり
コロナさえなければ…
堂々巡りです。
それが、こんなにおだやかでニコニコしていられるのを見るなんて、安心したと同時に少しさびしい気持ちもありました。
焙烙 (ほうろく)珈琲焙煎機 煎じ器 自家焙煎 コーヒー 茶葉 ロースター
ニコニコして、和やかでいる母がなんだか不思議なほど美しくて、少し見とれてしまいました。
途中から疲れたようで、ベッドに横になって目をつぶってましたけどなんだかびっくりするほど美しく見えました。
綺麗な人だなあ。
もう暴れることもなく、出たい出たいと騒ぐこともなく、とても安定した日々を送っているようです。
肌にもハリがあって、シワも以前よりも消えているような気がします。
眉にいつも寄せていたのは、苦痛ので仕方ないという苦しみのシワだったのかもしれない。
美人ですねとよく言われてきましたけど、確かに87歳で この美貌は異常だなと思いました。
やっぱり母はそういう人だったんだな。
87になって、シワシワになってない人なんてそういないはずだ。
アクのようなものが抜けて、一歩違う境地に入ったように思います。
悟りの境地に達したような感じでした。
それと同時に、ちょっとあの世に近づいてしまったかのような不安もありました。
トイレもまだ自分で行くと言ってました。
いつも通りの家の家具に囲まれて、いつも通りのベッドに寝て、とても穏やかで…そしてさらに穏やかになったからこそ…。
まだ、もうちょっと大丈夫のような気がする。
もうちょっと頑張って、お母さん。
これは辞める辞めないの話になる前の、かなりまいっていた6月ぐらいの話でした。
それから大騒ぎした挙句、辞めると言い張っていた私は、7月にも何日か有給を取っていました。
今こそ!
ためていた有給を使う時が来た!
明日から有給という、その前日のことです。
(まだ元気な)おばから連絡が入りました。
母は男兄弟もいますが、女性は三人姉妹で、そのうちのいちばん長女が母です。
「(真ん中の)おばちゃんが、亡くなりました」
けいちゃんおじちゃんの奥さんです。
* * *
おじちゃんも、おばちゃんを施設に入れてからずっと会えていないはず。
ガラス越しに手をふるだけだと言っていました。
一度、どうしても声を聴きたくて、施設に電話して無理にお話をさせてもらった時のことを思い出しました。
わたしがずっと一番似ていると言われ、一番可愛がってもらっていた叔母でした。
母に会えなくなっていたこのことが、わたしにとっても情緒不安定の一番の原因であるのは間違いない。
不安で不安で仕方がない。
一時期は会わせてもらえたのだが、感染が拡大してからはずっと禁止のままになっている。
そんな中に入ったおばの訃報でした。
よくある、プロジェクションマッピング(?)で遊べる遊び場で遊んでいた、小さいころのオムそばちゃんです。