おばの訃報
会えない間、母の夢を見たりしていました。
夢の中で何度も介護施設の本社に電話してました。
お母さん用のパンは?
コーヒーは具合が悪くなっちゃうかも。
スープ皿に入ったスープはどう?
ちょっとしたお肉は?
朝起きると、そんな風に考えていたのがさびしくて、やっぱり
コロナさえなければ…
堂々巡りです。
それが、こんなにおだやかでニコニコしていられるのを見るなんて、安心したと同時に少しさびしい気持ちもありました。
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ニコニコして、和やかでいる母がなんだか不思議なほど美しくて、少し見とれてしまいました。
途中から疲れたようで、ベッドに横になって目をつぶってましたけどなんだかびっくりするほど美しく見えました。
綺麗な人だなあ。
もう暴れることもなく、出たい出たいと騒ぐこともなく、とても安定した日々を送っているようです。
肌にもハリがあって、シワも以前よりも消えているような気がします。
眉にいつも寄せていたのは、苦痛ので仕方ないという苦しみのシワだったのかもしれない。
美人ですねとよく言われてきましたけど、確かに87歳で この美貌は異常だなと思いました。
やっぱり母はそういう人だったんだな。
87になって、シワシワになってない人なんてそういないはずだ。
アクのようなものが抜けて、一歩違う境地に入ったように思います。
悟りの境地に達したような感じでした。
それと同時に、ちょっとあの世に近づいてしまったかのような不安もありました。
トイレもまだ自分で行くと言ってました。
いつも通りの家の家具に囲まれて、いつも通りのベッドに寝て、とても穏やかで…そしてさらに穏やかになったからこそ…。
まだ、もうちょっと大丈夫のような気がする。
もうちょっと頑張って、お母さん。
これは辞める辞めないの話になる前の、かなりまいっていた6月ぐらいの話でした。
それから大騒ぎした挙句、辞めると言い張っていた私は、7月にも何日か有給を取っていました。
今こそ!
ためていた有給を使う時が来た!
明日から有給という、その前日のことです。
(まだ元気な)おばから連絡が入りました。
母は男兄弟もいますが、女性は三人姉妹で、そのうちのいちばん長女が母です。
「(真ん中の)おばちゃんが、亡くなりました」
けいちゃんおじちゃんの奥さんです。
* * *
おじちゃんも、おばちゃんを施設に入れてからずっと会えていないはず。
ガラス越しに手をふるだけだと言っていました。
一度、どうしても声を聴きたくて、施設に電話して無理にお話をさせてもらった時のことを思い出しました。
わたしがずっと一番似ていると言われ、一番可愛がってもらっていた叔母でした。
母に会えなくなっていたこのことが、わたしにとっても情緒不安定の一番の原因であるのは間違いない。
不安で不安で仕方がない。
一時期は会わせてもらえたのだが、感染が拡大してからはずっと禁止のままになっている。
そんな中に入ったおばの訃報でした。
よくある、プロジェクションマッピング(?)で遊べる遊び場で遊んでいた、小さいころのオムそばちゃんです。