今日もまた違う一日

今日もまた違う一日

おばあちゃんが認知症になった時のお話です。

相談 5

 

もう8月も半分過ぎてしまいました。
 

あっという間だなあ…。

 

母の思い出話をこうして書いていると、すっかり忘れていた気持ちが戻ってくるのを感じました。
書いてよかったなあと思います。

 


今の母は比較的落ち着いてます。
慣れとは恐ろしいもので、とんちんかんなことをしても、妙な答えが帰ってきてもあまり気にならなくなってきました。

 

問題は腹の立つことを言われたときです!
これだけは慣れません。
条件反射で反発してしまいます。

 

 

可愛いカメの小皿

 

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~~ 相談 5 ~~

 

 

父はとても無口な人でした。
しかし冗談が好きで、いつもニコニコ笑っているおだやかな人でした。
正直、母が強烈なキャラなので、かき消されてしまうというか…。(ごめんなさいお父さん)
私は父に瓜二つでそっくりだとよく言われます。

 

「この人は私と結婚できたことが最大の幸せなのよ」
と母は豪語していましたが、父もまったく否定しないし、常に母を立ててました。

 

飼っていたわんこ(ダックスでした)が死んだ時は目をまっかに泣き腫らしていたとか、いい人エピソードしか残っていません。
私も、父から一度も怒られたことがありません。

 

強いて言えば、小さめの電化製品が大好きで、発売するとすぐに買って来てしまいます。
それも隔しておくので、あとで母にバレては怒られる、という…。

 

少し影がさしてきたのは、やはり老年期にさしかかった頃からでしょうか。
エキセントリックなところはあっても、基本、いう事に間違いはなかった母が、妙に怒りっぽくなり、父にガミガミ言うことも増えていきました。

 

母の要求にうまく対応できなかったり、母の反応を恐れて隠したことがバレて罵倒されたりの毎日です。

 

そんな中で私も父を守ろうとしたり、母の支配をひっくり返そうとしての、長時間のもみ合いやあざ、噛みつきなどは、わりと日常茶飯事だったかもしれません。
あのもみ合いは、母と私にとっては懐かしいものでもあり、他人には理解しがたい意思の疎通方法でもありました。

 

母の幸福は何なのかな…。

 

母のはっきりした話しぶりだけを聞いていれば、地元にいるのが一番の幸せなのねと判断することになるでしょうけど…。

 

本人も現状どうにもならなくなって私に迎えにきてと言い、こちらに来たはずなのに、すっぽりと全部記憶が抜けているのが腹が立ちます!

 

他人の助けを借りなければ過ごせなくなった状態での、母にとって「幸福な状態」は何だろう。
それを「ある程度母が我慢できるレベル」にまで上げるのは、非常に難しいことだろうと思います。

 

わたしも母に対して、その場しのぎの嘘を言うことができません。
母は嘘は言わない人なので、私も母に対して嘘で対応することはできないのです。

 

 

わたしが選択するしかない!
どちらかというと、「本人の身を守るためにどうすればいいか」、という話のように思いました。

 

精神科の受診もすすめられていました。
認知症専門と、精神科は違うのかな??
認知症のお医者さんに紹介状をもらって、精神科に受診することになったらどうしようか?
どうやってもたせればいい?

 

ぐるぐる考えながら思いつめていたときに、ふっと思い出したことがありました。
ずっと親しくしていてくれるママさんのご主人が精神科医だと聞いていました。

 

きいてみて、受診できたりするだろうか…。
思い切って、電話してみました。

 

その日すぐに、ママさんづてにパパさんのアドバイスをもらいました。

 

「この状況ならば、今予約している病院の受診を待たず入院も視野に入れて、病棟のある精神科に一刻も早く受診した方がいい」

 

今まででもっとも的を得たアドバイスだと思いました。
さすがプロ!
すーっと霧が晴れたみたいに、そうだそうだ、その方がいい!!と元気になりました。

 

 

 

 

→→ 病院 1 に続く

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ねこリップ