一難去ってまた一難 3
やはり、ここ一ヶ月ほどかなり私の様子もおかしくなっていたみたいで、友人たちもたくさん心配してくれました。
LINEをくれたり、電話をかけてきてくれたり…。
私もちょっと魂が抜けたようになっていましたが、そうもしていられません。
今、ざあざあぶりが物凄いです。
(これを書いている時点では)風というより雨です。
雨がすごいです。
でもまだ、本格的に来ていないはずなのです!
明日までに一体どうなることやら、です。
~~ 一難去ってまた一難 3 ~~
この頃から、お弁当を持って行くようになりました。
新しい所長さんが来られましたが、ほとんどお会いすることがありません。
(今までは誰に対しても、来られた方には事務所からすすんで出てきてご挨拶されてました)
着任のご挨拶もそこそこで、事務所に引っ込んでいてあまり出てくることはありませんでした。
いかにもベテランの方でしたが、母とは合わないだろうなあ、となんとなく感じました。(ごめんなさい)
この頃、やはりベテランのずっと見ていてくださった職員さんから、母を連れ出してうちで食事するのをやめた方がいいのかもしれないと言われました。
とにかく、気になってしまうようなのです。
施設で食事を取るのか、うちで食事を取るのかがわからず混乱してしまいます。
そして事務所をたずねて、
「どうしたらいいの?どうしたらいいの!?」
としきりに聞きに来るようでした。
手をぶるぶる震わせて、顔つきも変わってしまっているようでした。
家を売った時に起きたパニック状態のことを思い出しました。
頓服を飲ませてもらっていいです、と言いたい所なのですが、やはり「頓服」というのは投薬のタイミングや頻度が難しいようでした。
一度も使っておられないと思います。
混乱を防ぐため…。
そう言っても、あのパニックになってしまった母の状態が、うちに呼ばなくなったくらいでおさまるとはちょっと思えません。
仕方がないというか、それが「うちの母の認知症の特徴」なのです。
個性のようなものです。
しかし、果てしなくウザいことは間違いありません。
あれをずっと応対する事は出来ません。
真面目に返事してもきりがなくて、でも納得せずにずっと聞き続けて来ます。
しまいみは、こちらがおかしくなってしまいそうになるのです。
もう一つ問題がありました。
施設にすべてのお食事を頼むと、法外な値段になってしまい、母の年金額を超えてしまうのです。
貯金を取り崩すことになるでしょう。
今後どうなるかもわかりませんし、ここでの出費はなるべく抑えたいところでした...。
これはこちらのわがままとも言えます。
一緒には暮らしたくない、でも出費は押さえたい、という。
ちなみに、実家を売って確定申告したときに聞きました。
あまりたいしたことない額にも関わらず、「収入があった」ことになるので、介護の負担額が一年間、二倍になるのだそうです。
その話も、わたしの警戒心を深くしていました。
月・金と家族と食事していましたが、お弁当を持って行くようになりました。
日数も増やして、月・水・金にしました。
それほど、母の調子はよくありませんでした。
本当に、頼りにしていた所長さんの異動は私たちにとってダメージでした。
施設の様子もなんとなく変わりました。
廊下の電球が切れてもなかなか変えなくなり、今までなら頼めていたこともなり、ベテランの職員さんが次々にいなくなりました。
以前からよく知っていて下さった方がいなくなってしまったのです。
→→ 一難去ってまた一難 4 に続く