今日もまた違う一日

今日もまた違う一日

おばあちゃんが認知症になった時のお話です。

そんなこんなで 3

毎日、暗い日が続きます。
台風が次々に現れるし、曇りがちで雨ばかり…

 

からっとした天気が欲しいです!!
洗濯ものが乾かない!!

 

 

 

 開運ひょうたん(八卦太極柄)

 

おばあちゃんが認知症になったお話 → 目次

 

~~ そんなこんなで 3 ~~

 

 

おばあちゃんの所に行ってみると確かに様子がおかしいです。

 

先週にはしなかったような仕草をしています。
ひどく落ち着きません。
一口食べただけですぐにお弁当を閉じてしまいます。

 

「いや食べて」
促します。でも閉じてしまいます。
「下で人が待っているんよ」
というのですがそんなはずはありません。

 

何度促しても食べることができません。
顔は割とはっきりした顔をしているのです。
お薬でぼけた感じではありません。

 

強引に意思を押し通そうとします。
「どこかに行きたい」という意思です。

 

「ここは私の居場所じゃない。元あった場所に帰りたい」

 

おばあちゃんがそういったわけではないのですが、そういう感じがしました。
出て行こう、出て行こうとするのです。

 

これはもし家を売らなくて、私が遠距離でもなくて、母の家で私が介護して見ていてもそうだったのかな?

 

認知症の方々はどこに向かおうというのだろう。
懐かしい、どこか知ってる人がいる場所…。
おじいちゃん、おばあちゃん、大切な連れ合いである父、仲が良かったお友達。
大好きだった人がいる場所…。
その先は、明るい光待つ天国なのかもしれない。

 

時々人の一生を描いた漫画などで人が亡くなる時に若い姿を取り戻して懐かしい人々のまつ場所へ走って行きみんなは笑顔で迎える、そんな描写があります。

 

そういう場所に母は行きたがっているような気がしました。

 

私はこの騒ぎが起きるまで、オムレットくんと子供たちとの生活が一番幸せでした。
年を取った時、この一番幸せなピークのイメージに向かって帰ろう帰ろうとしている自分が見えるような気がしました。

 

母は「どこか」へ向かおうとしている。
過去のきれいで元気だった楽しかった頃の姿に向かって「帰ろう」とする母に、私がしてあげられることは何もない気がしました。
ただ見守るしかありませんでした。

 

そしてやっぱり、母だけに集中するのではなくて、いま暮らして大事にしなければならないのは、こどもたちとオムレットくんなんだと思いました。

 

いつか私が年を取った時、私の世話や私の幸せに縛られずに、こどもたち自身の自分の幸せを考えて、自分第一にして暮らしてほしいと思いました。

 

 

→→ そんなこんなで 4 に続く

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