昔話 大恋愛 3
色々とあってなかなか書けなかったのですが、母の昔のぽつぽつ、続きを書いてみようかな~と思います。
こんな母の延々と続くモテ自慢を聞かされて楽しい人いるのかな~?
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若い時の母に求婚しにきた学校の先生…!
小学校六年生の時からずっと母のことを好きでいて、見つめていてくれた人…。
私はどうして断ったのかさっぱりわかりませんでした。
ちなみに母は父がいてもいなくてもかまわずその話をしていましたし、父はそのことを特に気にしてる様子はありませんでした。
頼み込んで結婚してもらったからその点はどうでもいい(??)という感じでした。
娘の私は何度も何度も聞かされました。
本当に好きでいてくれた。大恋愛だった。
あんなに愛されたから、今でもわたしは自分に自信がある。
ならどうして断っちゃうのー!?
母はなかなか、その断った理由を話してくれませんでしたが、私がずいぶん大きくなってからぽつんと話してくれました。
「あの時ね、怖くなったんよね。好かれすぎて怖くなった」
母は高校を卒業したばかりでしたから、18歳だったはずです。
それで慣れ親しんだ友達とも親兄弟とも別れて、遠くにお嫁に行く…。
ためらったんだろうなと思います。
「それとね、苦労したんやろうね。ものすごく痩せ細って、疲れていて顔色も悪かった。あれっ、わたしこれで一緒にお嫁に行くって行ったらいったい、どこに連れていかれるんやろ?そう思った。これは大変なことになるぞってね」
やっぱり、好かれるのがちょっと早すぎたんだろうなあ…。
距離の遠さも関係ありそうです。
「わたしは、人生で一度もいつでも真正面向いてた。誰にも背中を向けたことはない。だけどあのとき一度だけ、たった一度だけ背中を向けたのよね」
いつでも真正面というのは本当にその通りでした。
それは私から見ていてもいつもそうでした。
母は気性が激しいし束縛するし、わがままだしで大変な人でした。めんどくさいのは確かです。
でも、人に背中を向けない、そんな態度でいる母が私はやっぱり好きでした。
「そのときのS先生の帰る姿がいまだに離れない。肩を落としてとぼとぼと帰る背中…忘れられない」
先生はその後、弁護士試験に合格しましたが、体を壊して入院されたそうです。
その後、結婚をされましたが結核をわずらって早くに亡くなったそうです。
母にも直接聞きましたが、実は日記(母の)に残っていました。
「母ちゃん!聞いた?連絡があったんよ。S先生亡くなったって」
「S先生が?」
という、なまなましい記録でした。
読んだ時はこちらの胸がどきどきして、すごく悪い覗き見している気持ちになりました。
母は平気でした。
むしろ話したがり、聞いてもらいたがっていたように思います。
「S先生のお母様が、あなたにどうか伝えて欲しいって」
S先生のお母様が母に伝言を頼むとは…!?
奥さまが遺されていたはず。
母ももう結婚していましたし、大切な息子さんを振った女性なんて、もう全くあかの他人で伝える必要もなさそうなものなのに…。
わざわざ友人ごしに母に伝えて欲しいとお願いするなんて、S先生がどれだけ本気だったのかを示唆するエピソードでした。