年をとるということ
グループホームに入ったおばあちゃん、少しずつ荷物も整理して、うちにはおばあちゃんのスリッパが残されました。
室内ばきなのですがかかとがかなり高く、かたくて、赤くて、丈夫です。
もう何十年使っているでしょう。
どれだけ丈夫なのか、擦れはありますが壊れる気配がありません。
使っていると、あたたかいし汚れないしでいいことばかりです。
愛用していたのがわかる気がしました。
おばあちゃん、グループホームでは介護用スリッパを使っています。
やわらかくフラットで、マジックテープで止められるやつです。
いくつか購入しましたが、施設が準備したものが一番使いやすいみたいです。
やはり現場ですね。
カタログが用意されていて、そこから選びました。
業者さん、しっかり施設とタッグを組んでいるんだなあと思いました。
とても置ききれなかったおばあちゃんの服がまだありますが、ズボンなんてはいてみるとぴったりです。
おばあちゃんのズボンはいて、おばあちゃんのスリッパ履いて、母が身近にいるような気がしました。
Twitterでこちらのつぶやきを拝見してちょっと涙ぐんでしまいました。
本人も周囲もつらい。
いつまでも一人で責任もってやれたらどんなにいいでしょう。
大人になるということは自分で責任を取れることだ!と習いますが、その後のことはなんとなくみんな口をつぐんで子供たちにも教えません。
こどもたちがどんどん大きくなって育って行くように、母の老化も刻一刻と変化して進んでいきます。
本当に本当にほんっとう~~~~に大変なのですが、一概にそうとだけも言えない部分もありました。
何より、所々で社会の中で生きているなという実感がありました。
なるべく手を差し伸べようというシステムがあって、日々改良されている、社会全体に支えられているなという実感です。
ずっと当たり前のような世間の概念に反発していましたが、今になってやっと、家に入るだとか、結婚しろだとか、子供を作れだとか…今となっては、なんとなくわかりました。
産む機械発言はそりゃあないですけど、一人で気ままに生きていくにしても…元気なときは良いですが、決して最後まで元気なままではいられない。
さいごは誰かが面倒を見ることになるし、それが赤の他人だった時にちゃんと面倒をみてもらえるか、人としての尊厳を保って死を迎えられるか、これは決して保証されないことなんだとわかりました。
やっと大掃除をすませました。
今年はすこし早め、いよいよ、義理実家に出発しなければなりません。明日はもう一度、おばあちゃんの所に行って来ようと思います。