おじちゃんの話 3
私にはまだ、大変とは言っても、くるみ君やオムそばちゃんそれにオムレット君がいました。
私は聞いてみました。
「入居はいつなの?」
「今相談したばかりでな、3月の終わりなんじゃ」
「そ…それは…」
思わず私は言ってしまいました。
「3月の終わりまでその状態は、長いわ…」
「そうなんじゃ!!それも、慣らしで試してみたり準備をしたりと、とにかく大変なんじゃ!」
おばあちゃんが引っ越す時の大変だったことを思い出しました。
たくさんの説明を聞いて、たくさんの書類を用意して、何度も市役所にも通って、衣類を全部に名前を書いて…。
全てが蘇りました。
そして、入居して終わりではないこともわかっています。
例えば熱を出したり、提携している医院ではちょっと違う症状が出た場合、病院に連れて行くのもつきそうのもやっぱり結局は家族です。当たり前のことではありますが。
「わしは一体、もつのかどうかわからんぐらいじゃ。正直もう本当にどうしていいかわからん」
無理もないです。あの暮らしがもしずっと続いていたなら本当にどうなっていたかわかりません。
「おじちゃんこんなことを言うとなんだけど本当に本当にすごいよね。あの凄さはよくわかります。だって私…私だってオムレットくんと…」
もうおばあちゃんもおかしいけど、自分がおかしくなっていました。
「夫婦の仲もちょっとも大丈夫なのかなっていうような状態に一時期なったりしたもの。本当にね、施設に入ってから時間がたって、やっと元の生活に今戻れたなって思っているところなの」
「そうじゃろうそうじゃろう」
「本当にね、あのね…私、お母さんにすごく可愛がられてたし、一人娘だったし、喧嘩もするけどお母さんのことをすごく大好きだっていう気持ちがあったんだけど…そういうのをみんなひっくるめて、全部塗り替えて上書きしてなくなって、それ以上になってしまうくらいの…それほどの大変さだったよ」
おじちゃんも言います。
「おばちゃんな、だめなんじゃ。落ち着かんのじゃ。薬が効かんのじゃ。総合失調症の薬な、あれまったくきかんわ。もうどうしたらいいんかなありきちゃん、あれってどうにかならんものなんかの」
リスパダールのことが頭をよぎりました。でも処方してくれた先生は言っていました。
古い考えの先生だとなかなか処方しないこともやっぱりありますねと。
わたしは直接精神科に行きました。
それは、お友達のだんなさんの心療内科の先生が、
「病棟のある精神科に待たずにすぐに行くべき」
と言ってくれたからでした。
私は論文か!というような長い、「母がこんなに迷惑行為をはたらきました」という日記をもっていきました。
この薬、ある漫画ですごく暴れている患者さんに、経口から液体でちゅっと飲ませて落ち着かせる、病院にとって都合のいい薬、みたいな扱いをされていてかなり複雑な気分になったのを覚えています。
「リスペリドンは?リスペリドンは出してもらえないのかな。今使っているお薬は何?」
と聞いてみましたが…。
これが田舎のおじい様がたの特徴なのですが、私のようなおじちゃんの方がずっと世話を見てきた小娘ちゃんには…(表現が難しいですが…)薬や経営や政治や…そういうのは「男性か専門家が扱うべき情報」という固定観念があって、安易に言おうとはしないのです。
いやいや…それは…と口を濁してしまいました。
そして、「ダメなんじゃ。ダメなんじゃ、きかんのじゃ」と繰り返します。
正直おじちゃんもだいぶ年を取っている感じが見えます。
とても心配になりました。
とりあえず、地元の病棟のある精神科で、名前を私もよく知っているところを探してみました。
土日になってしまうで、病院がやっている日の朝にでも、もう一度おじちゃんにかけてみよう。