最後まで記憶に残るもの
夜に電話がかかり、オムレットくんが出ました。
誰だろう?と思うより早く、オムレットくん、大声を上げました。
「お久しぶりです!お元気してますか」
この声の変わり方は、親戚です。
「りきですか。いますよ、いま変わります」
「けいちゃんおじちゃん!」
郷里あたりで洪水が起きてから、電話をしていなかったのです。
ライブカメラは見ていましたけど、かろうじておじちゃんの住んでいるあたりは大丈夫そうでした。
反対側の上流が氾濫したのです。
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「りきちゃん、電話してくれんといかんわ。もうずーっと話してないからのう」
んっ…?
電話してること、忘れているかな…?
もともと、おばちゃんが施設に入ってからどうなるのかは本当に気になっていたのです。
おばちゃんがついに施設に入って、おじちゃんは一人暮らしになってしまいました。
一ヶ月ほど前にも、話をしました。
おじちゃんの話ぶりだと、1年は連絡がなかったかのような感じです。
ちょっとうらめしそうでした。
(おじちゃんはあまりこういう所はないので、すごくうらめしそう、と言ってもいいぐらいです)
こういう、ほんのわずかな違和感が、老化の進み具合をみる上で、とても大事なことをここ数年で学びました。
電話に出て、最初に思ったのは、ぐっとふけこんだ声でした。
「携帯電話をな、契約したんじゃわ。それで電話番号をな」
「ついに携帯を!それは持っておいたほうがいいと思います」
電話を切ってから思いました。
一度行ってみないといけないな…。
施設に入ったというおばちゃんにも会いたいです。
また、おじちゃんの用件の一つは、私の父のお墓を、まだ移さないでいてほしいということでした。面倒をみる張りがあるからと…。
私の母とおばちゃんが姉妹ですので、父とおじちゃんは本当に他人です。それに随分前に亡くなっているというのに…。
それほど親しくしていましたし、そんな親戚が、ひとりひとりいなくなって、ついに残ったのはおじちゃんだけです。
おばちゃんが入った施設の方は、面会は一ヶ月に一度のようです。
月に一度の方がまだましです!
おばあちゃんはまだ面会禁止です。
デジタル面会の「準備が整っていない」ようです。
お友達で、やはり何カ月も面会禁止で会えなくなった人もいるようですが、義理親さんなのでまったく気にならない。できれば会いたくもないなんて言っていました(笑)。
私はやっぱり、実母なので気に成りますし、たとえ義理両親さんがたが施設に入ったとしても、やっぱり気になると思います。
すごくかわいがってもらっていますから…。
今、母がどうなっているのかものすごく不安です。
刺激もないのでおだやかなのか、認知がすすんでしまっているのか、まるでわかりません。
これまで、母の認知が進んでいく過程の上で、不思議なことに、母の中に強く記憶が残っていたのは
夫<こども<母
であるようでした。
私から見れば、
(父)<(私)<(ひいおばあちゃん)
です。
結局、おかあさんが一番強く記憶に残っているのです。
だいぶ大きくなってきましたが、オムそばちゃんがまだまだ甘えてくるのを見ると、最後の最後に頼りにしたり、呼んだりするのはやっぱり「母親」なのかな…なんて思います。
そして、私自身もそれが「母」なのかな、と思います。
なのでやっぱり、会えないし電話もできないというのは、かなり気になるところです。
毛布が恥ずかしいですが、オムそばちゃんがいつのまにか撮っていました。
ウォールステッカーです。