退院!またしばしのお別れ
久しぶりの母との会話は、とても穏やかでした。
全体的になごやかでした。
おばちゃんの話をしました。
「おじちゃんももう、お世話が限界みたいで、ついに施設に入ったんだよ…」
母は、こんな風に言います。
とてもはっきりしていました。
「あの子は施設、イヤやろうね。そういうの、いちばん嫌がる子だから。でもそれは誰だって嫌よ。嫌がる方がまとも」
なんて言うので、これから施設に送り届けなければならないことが、なんとなく不安になりました。
とりとめもなく今の話をしました。
今、私の知りうる限りの親戚の情報を伝えました。
くるみ君とオムそばちゃんの記憶はうっすらとあるようなのですが、それよりもはるかに強く、オムレットくんの方を覚えているのが不思議といえば不思議でした。
「オムレット君のこと、分かるに決まってるでしょ」
と答えてました。
そして言います
「うちのお父さんもまだ元気だから」
ちょっとはっとしました。
まだ母の中で父は生きているのかな。
ゆるゆる、ドライブしながら話しました。
すると、ある道にかかったとき、母が指をさして
「こっちに曲がるんやろ?」
と言いました。
残念ながら反対側へ曲がる道だったのですが、母は覚えているんだな、と思いました。
前に大騒ぎをしながら、認知症なのかそうでないのか、精神科に通ってお薬をもらっていた時に、毎月のように通院していた道でした。
新しい施設は違う方向なので、その道は通らないはずだったのですが、遠回りしたので少しだけ通ったのです。
記憶力には自信があるタイプだったのだけど、認知症になっても、まだその傾向はあるんだなあ。
うろうろした挙句に、やっと送り届けると、施設の人が
「お帰りなさい!」
と迎えてくれました。
母は笑顔を見せています。
(そりゃあ嫌よ!と言っていたのでどうなのかわかりませんが…)
母も落ち着いていてそしてずっと夢みたいに過ぎ去ってしまいました。
滞りなくいつも通りの生活にずっと戻れました。
今日のご飯のことを考えて、オムそばちゃんを習い事に連れて行きお買い物に向かいます。
なんということはない日常です。
気持ちが落ち込むこともなく、歯が痛くなることもありませんでした。
ここから施設に戻ってまた私には合わない生活が始まってしまうと、病院生活と、私に一瞬だけあったという記憶は夢のようなものになってしまうかもしれません。
ちょうど認定期間をまたぎました。
母は介護度が上がるかもしれないという話だったのですが、要介護2のままでした。
まだ寝たきりの状態とまでは行っておらず、かろうじて踏みとどまっている感じです。
これからどんなふうに進んでいくのかなという風にぼんやりと考えます。
これから先もこの病院のしかも整形外科との行き来はまた起こりそうな気がしています。
もう一度骨折して病院に入って今度は本当に寝たきりになってしまって施設に戻って…の繰り返しなんだろうか。
命の危険というのはいつ訪れるんだろう。
この後、施設では面倒をみることができない何かが起きた時に、どうするかの判断を私はしなければならないんだろうな。
この施設は家族の希望があればみとりまでやってくれるとは言っていますが、それも病状によって分かりません。
この心配、介護は死ぬまで続きます
ただひとつ言えるのは、やはり久しぶりに会えてとても嬉しかったです。
年を取り弱まりましたが、まだつやつやとして綺麗な母でした。
騒動を経て、だんだん慣れてきました。
日々のことに母のことがちゃんと組み込まれ、色々と悲しかったり落ち込んだりすることもあるけど受け入れられるようになってきました。
また日常がはじまります。
どこの仁王様だったか...。悪いことしてる人には怒り顔、頑張ってる人にはがんばれと励ましてる顔に見えるらしいです。
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