生きてるということは変わらない
その日はさすがに、動けませんでした。
「お母さん疲れた。とりあえず今日はこれで終わりです」
くるみくんが冷凍餃子を焼いてくれたし、オムそばちゃんがごはんを炊いてくれました。
子どもたちには、ふんわりと話をしました。
あまり長くは生きられないかもしれない。
水曜日はおばあちゃんの所にいます。
もうほんとうにベッドから動けなくなったりする前に、連れてきたり、顔を見せたりすると思うので、嫌がったり、失礼な態度取らないでね。
海岸線を走っていた時に撮りました。曇りがちな日でした。
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わかっているのかいないのか、聞いてくれている二人の前で、だからあんなに、遠くに行く結婚に母は抵抗したのかなと思いました。
その時は、「遠距離である」という以外、何も反対する理由なんてないオムレットくんに対して、何をわけのわからないことを!と思っていましたが、そういうことだったのだろうか…。
不安があったのかもしれないな。
母は、大家族の祖母を見て育っているので、子供はいらない!という主義できたようですが、年とってから私が生まれました。
これ、私が産まれていなかったらいったいどうなっていたんだろう?
考えると怖いです。
母は、母方の祖父母・父方の祖母を、どちらも介護もみとりもしなかったので、介護をした経験がありません。
あれこれ文句を言ったり口出ししたりはしてましたけど…、結局、田舎ならではの長男と長男の嫁の手に委ねていました。
くるみくんは、もう高校生で大きいし、じっと話を聞いてくれるので、もう少し突っ込んで話をしました。
「でも、やっぱり一つだけ言えるのは、おばあちゃんが年取って、自分のことを自分で出来なくなってこっちに(神奈川)に来てもらったわけだけど、それは『良かれと思って』とかじゃなかったね。必要に迫られてって感じだった」
なかば自分に言い聞かせていました。
母が九州の実家で暮らす方が幸せなのはわかっていました。
よその土地でなんて生きられないことも、多分みんな、お母さんの周囲の人もお母さんを知ってる人もみんな知っていたと思います。
しかし、もっといい方法、というのは一つもなかったなあ。
いつか母に、
「親の幸せって何だと思ってるの?」
と聞かれたことがあって、
「わたしが幸せになることが親の幸せでしょ!だから、最終的にはわたしは私の幸せを優先する!」
と言い放ったことがありました。
オムレットくんとの結婚のあれこれでもめていた時だったと思います。
このブログのずいぶん最初の頃に書いたのを、懐かしく思い出しました。
そのときは、
「おまえが言うな」
というようなことを言い返されたなあ。
あのとき、母の言いたいのは、
親の幸せ=子どもがそばにいること
だから、そばにいて!だった気がします。
「親が言うならいいけど、それを子供の立場で言うのはおかしい」
と言い返されました。
くるみくんに、
「とりあえずお医者さんは、いつ亡くなってしまうかってことだけは、これは全くわからないと言ってたよ…」
するとくるみくんがこんなことを言います。
「ばあちゃん思ったよりしぶといと思うよ。2週間とか、3ヶ月とかってことはないだろ。もっと生きるよ。1年か2年か、もしかしたら10年かもよ?」
はっとしました。
そうだ、そうだよ。
おばあちゃんは死んでない。
まだ生きてるんだ。
整形外科の時だって、
「もう、ここからは、寝たきりでしょう」
ってはっきり言われたのに立って歩いた。
(お医者さんも、そんなの言ったのを忘れたような顔してました)
おばあちゃんは規格外の人なんだ。
何が起きるかなんてわからないし、まだ生きてる、っていうことは変わりない。
何も変わらない。
ありがとう、くるみくん。
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